続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

他力本願。

2012-11-20 07:21:13 | 日常
 自主性がない・・・自分でこうしようああしようという気力がない。けれど体力が著しく萎えてきた昨今、是が非でも外へ出て歩かねばと思っている。
 固く思っているにもかかわらず、惣菜を買いにスーパーへ行くことすら億劫でたまらず、たまに商店街に出ようものなら両手いっぱいの荷物に加えてリュックにも詰め放題・・・戦後の買出し(知らないけど)といった感じで、足元もおぼつかない風体で帰り着く次第・・・。


 こんなことでは・・・と入会した「歩こう会」、けれど月イチだけではと不安が過ぎる。外へ出たくないわたしを無理に外へ出させる方法・・・それは何かのイベントに参加希望の旨を書いて申し込み、抽選結果を待って行く、というある種のプロセスを踏み、出かけなくてはならない状況を自ら設定するというやり方を実行している。


 最近は三枚のハガキを書いた。美術館主催の「朝井閑右衛門の・・・」で田浦から鎌倉までを辿るもの、博物館主催の「バードウォッチング」・・・そして浦賀CC主催の「吊るし雛」。前の二つはOK、吊るし雛の方はどうかな・・・。

 抽選結果を見ながら、(やった、やった)と喜んでいるわたし。
 まるで自主性がない。一人で出かけられる大人になりたいな。(幾つになったらできるのかな?あの世だけはどんな意気地なしでも一人で逝かなきゃいけないって聞いたけど・・・)

『洞熊学校を卒業した三人』11。

2012-11-20 06:59:25 | 宮沢賢治
 ちょうどそのときはかたくりの花の咲くころで、たくさんのたくさんの眼の碧い蜂の仲間が、日光のなかをぶんぶんぶんぶん飛び交ひながら、一つ一つの小さな桃いろの花に挨拶して密や香料を貰ったり、そのお礼に黄金いろをした円い花粉をほかの花のところへ運んでやったり、あるいは新しい木の芽からいらなくなった蠟を集めて六角形の巣を築いたりもういそがしくにぎやかな春の入口になってゐました。

☆仮の詐(つくりごと)を言うことで闢(ひらく)法(真理、仏の道)。
 宙の現れた日の講(はなし)、秘(人に見せないように隠す)考えの宇宙。
 宇宙は照/普く光があたり、等/平等である。
 化(形、性質を変えて別のものになる)を相/互いに察/よく見ると、密(ひそかな)考えにより、両(二つ)の性(傾向)がある。
 霊(死者の魂)の講(はなし)は魂の縁(つながり)であり、化(教え導くこと)に奮(勇み立ち)仮理のことを云い、真(真実)をだまっえt臥せている。
 浪(さまよう)衆(人々)の無(むなしさ)、各(それぞれ)の業(報いを受ける元になる善悪の行い)。
 双(二つ)を蓄めて竣(出来上がる)新しい講(はなし)である。

『城』1100。

2012-11-20 06:18:27 | カフカ覚書
「お内儀さんのところへ行ってあげようか」
「お願いします。じつは、村長さんの家までお迎えにいこうとおもったのですが、お話をなさっているところでした。お邪魔をしては悪いとおもい、女房のことも気になったものですから、また走って帰ってきました。ところが、あれは、わたしをそばへ寄せつけませんのでね、こうしてお帰りを待っているしかなかったんです」

 戸口/Tur→Tour/企み。
 お邪魔/steren→storgen/放浪する。
 はしっえ/lief→leif/身体。

☆「行くべきでしょうか」と、Kはたずねた。
 「ぜひお願いします」監視人は言った。「村長(死への入門)まで迎えにいこうとおもったのですが、聞いていると、企み(計画)を話しているところでした。ふたたび戻った身体は放浪すべきではなく、自由を危惧しますが、自由はわたし(監視)を寄せつけませんので、無として残り、君を待つしかなかったのです。