続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

西雅秋先生の授業。

2013-01-21 07:27:28 | 美術ノート
「モノの型をとる」という神奈川県立近代美術館/葉山でのワークショップに参加。

 無作為に何かに粘土を押し付け型を取り、それを石膏で形にするという講座。最初は何のことだかさっぱり不明、なるようになるという気楽さで・・・。

《えっ、あのゴームリー氏(庭にある彫像)の顔に粘土を押し付けてもいいの?》(こんな機会ないわ、それではいざ!!)


 20人の参加者、それぞれ草や木や貝や・・・スイッチや・・・気の向いた対象物に向かってペタリ、それら五枚を内側にし、枡形の器(木型)にして石膏を流し込んだ。

 それぞれ五つの断片を表面にした立方体が出来るという具合。

 それを見て「・・・」


 少し前に見た記憶の復元。

 写し取った型には「記憶の情報が見える」
 わたしたちは存在者として、見える対象物(風景であり、人であり・・・)を否応なく記憶している。記憶の内在は表面化することなく意識の中に潜在化し深い朦朧状態をつくる。

「モノの型をとる」モノの型は、すべて過去であって未来へは繋がらないし、善悪も主張しない。記憶の装置であり、視覚の置換である。それは多くの情報を内包し、そっくりであることによって、認識の事実を蘇らせるという接点を有している。

 質的変換は、時間差をを以てやがては風化していくに違いないが、その時間という概念を髣髴させる静かなる魔力を秘めている。ありのままの自然を模すという仕事は、人間(英知)の介入そのものである。美は含まれるかもしれないが醜である可能性も否定しないモノの形の妙。

 持ち帰った作品を前に、記憶の形骸化ということを考えている、・・・見ることの当然と復元による過去(幾億、数千年であろうとも)を想起させる不思議に感じ入っている。

『洞熊学校を卒業した三人』70。

2013-01-21 07:04:39 | 宮沢賢治
「いや、さようなら。なめくぢさん。とんだことになりましたね。」
 なめくぢが泣きさうになって、
「蛙さん。さよ・・・。」と云ったときもう舌がとけました。雨蛙はひどく笑ひながら
「さよならと云ひたかったのでせう。トン等にさよならさよなら。わたしもうちへ帰ってからたくさん泣いてあげますから。」と云ひながら一目散に帰って行った。

☆究(つきつめる)吾(わたくし)は運(めぐりあわせ)を絶(へだてる)。
 有(存在する)吾(わたくし))は照(あまねく光があたる=平等)を運(めぐらせている)。
 翻(形を変えて作り変える)薀(奥義)であることを逸(隠し)黙っている。
 太陽になる鬼(死者の魂)の講(はなし)である。

『城』1160。

2013-01-21 06:35:54 | カフカ覚書
わたしの父は、鍛冶屋をしていました。いまの良人のハンスは、ある豪農の馬丁で、しょっちゅう父のところへ出入りしていたというわけです。

 鍛冶屋/Schmied→schmerz/苦悩。
 豪農/Grossbauern→Gross Bann/大きな、魔力、束縛。
 しょっちゅう/ofters→opfer/犠牲。

☆わたしの父(創始者/神)は苦悩していました。一族である今の人間は、先祖の大きな魔力によって隷属させられ、神の犠牲になりました。