続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

四人会。

2013-01-26 06:49:17 | 日常
 ひょんなことから、月イチで集まり、食事をし、おしゃべりをしている四人。昨日はMさんは都合がつかず欠席、Tさんはご主人の検診で遅れるからと連絡が入った。
 ハイランド、粟田、長沢、大矢部と至近距離ではあるけれど、全く違う町の住人。しがらみがないから何でも自由なおしゃべりをして会話も終盤疲れ果て言葉少なになったところでお別れということになる。全くお店には申し訳ないと思うほどの長時間、席を占領しているおばさん族。粟田の夢庵さんで午前十一時から午後三時まで四時間も・・・。(信じがたい暴挙)

 どうしたら四時間も間がつなげるのか・・・というのは愚問であって延々おしゃべりは尽きないのである。集まること事態に抵抗を感じていたわたしだけど、気付けば皆勤、この二年席をはずしたことがない。内心疲労困憊、付いて行けないほどの違和感に困惑していたのに・・・どうして?

 結局、わたし自身もおしゃべりが好きで食事とドリンク自由ののんべんだらりが性に合っていたからに他ならない。


 メンバーのTさんは裁縫の達人で、パッチワークから着衣、小物(バック等)に至るまで本職並みの仕上がり。料理に関しても何でも教えてくれるオールマイティ・・・。
 Mさんも、裁縫や料理に興味津々、この人は同学年で、覚えがある。何せ、一学年五百人以上(十一クラス)もいた団塊世代だから、クラスが違えば見覚えがあるという程度だけれど、確かに覚えがある。別々の人生を歩み、今再びここで席を共にしているという感慨には深いものがある。十代から六十代、半世紀を経ての巡り合いなのだから。
 MIさんは、この会の結成に一役買って出た人。元気で逞しく、懐が深い。


 昨日は二人だけだったので・・・(一時でお開きにしましょうか)と相成ったところにTさんが現れ、再び話に熱中、いつも通り三時の解散。

 友達は作られて行くもの・・・・進行形である。

『洞熊学校を卒業した三人』75。

2013-01-26 06:37:13 | 宮沢賢治
「さうぢゃ。みんな往生ぢゃ。山猫大明神さまのおぼしめしどほりぢゃ。な。なまねこ。なまねこ。」

 往生はオウ・セイと読んで、央、星。
 山猫はサン・ビョウと読んで、Sun(太陽)、平。
 大明神はダイ・メイ・シンと読んで、題、冥、信。

☆央(真ん中)の星である太陽の平(かたよらない/平等)が題(テーマ)の冥(死後の世界)の信(正しいと思って疑わないところ)である。

『城』1165。

2013-01-26 06:10:50 | カフカ覚書
そのころこの宿屋の主人だった人は、お内儀さんに先立たれ、宿屋をやっていけなくなり、それに、もう老人だったのですが、ある日わたしたちの小庭のまえを通りかかり、わたしたちがすわっているのを眼にとめると、立ちどまって、その場でいきなりわたしたちに宿屋を賃貸ししようと言いだしました。

 そのころ/damalige→da mal/痕(傷痕)
 宿屋の主人/Gestwirt→Geste wort/暗示、言葉。
 小さな庭/Gartchen→Gericht/厳しく罰する、非難する。審判。

☆その痕(傷痕)もまた言葉の暗示であり、自由な死がある。そしてそれゆえの仕組みであり、強制は断念したのです。存在はすでに先祖の時代の人間であり、先祖の痕(傷痕)はわたしたちの審判として終わり、わたしたちが来世にいるのを見て立ち止まり、いきなり契約したのです。