続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ショート・ストーリー/A。

2014-01-09 07:02:18 | 日常
 不意に夢の中に出てきた男がこちらを向いた。もうとっくにあの世の人で、存命中の彼を知っているわけでもない。
(なのになぜ?)

 一度だけ口を聞いたことがある。家の前を散歩して・・・散歩というより歩かなくてはという強迫観念めいた歩き方だったかもしれない。その彼に、
「お元気になりましたね」と、声を掛けたら、「いや、もうダメですよ」としわがれたような情けない言葉が返ってきた。
 彼が交通事故に遭い、歩けるまでに回復したのを知って声を掛けたのである。
 定年までわずかという時期であったけれど、退職。家の中で読書や書き物三昧の日々だったらしい。

 小さい頃から優秀だと自慢の息子は成人し職を得た後にも、溺愛してくれた母親を見放すことが出来ない。母の期待に副える妻の選択には苦悩したが幸い、それなりの女人に出会うことができた。さて安心したと思ったのも束の間、母親の嫁いびりが始まった。見て見ない振りを決めてはいたが、いよいよ苦悩した妻が家を出て帰って来なかった。
 夕刻には帰るはずなのに、7時になっても8時になっても帰らない。9時も過ぎ・・・10時になるかというときに玄関の戸が・・・思わずそっと開けた襖・・・妻である。

 妻である彼女からの話では「もう自殺しようと思って海岸べりを往復したわ、でも・・・。そうして帰ったら、夫の部屋の襖が10センチほど開いたの、それっきり、一言も無かったわ」

「お給料全部お姑さんに渡すのよ、わずかな小遣いで化粧品も買えなかったわ」とこぼした。

 男は長い間、息も詰まるような生活をしていたが、無事母親をあの世に届け(これからは!)と安堵した。しかし・・・母(姑)に鍛えられた嫁は想像以上に強く、妻の眼差しは、わたし(男)を素通りし、亡き姑に逆襲するかのように感じた。感じたに過ぎなかったのかもしれない。

 こんなものかと頭の中の朦朧を拭えないまま歩いたいたら、車に撥ねられたというざまである。

(家の周囲を散歩していたらしい男の姿は間もなく見ることが無くなってしまった。すでに三十年近い時間が経っているが、よもやその妻と親しくなろうとは、その頃には思いも懸けないことだった)


 学究肌のひたすら真面目だった男がもっと強かったら良かったのに・・・否、更なる悲劇を生んでいた可能性もある。
 男はあの世でどう思って居るだろう。

付記:妻の言い分はこうである「恋愛というものをしてみたかったわ」

『ポラーノの広場』204。

2014-01-09 06:42:30 | 宮沢賢治
「やい、ファゼーロ、うまいことをやったなあ。この旦那はいったい誰だい。」
「競馬場に居る人なんだよ。」

 旦那はダン・ナと読んで、談、納。
 誰はスイと読んで、推。
 競馬場はキョウ・メ・ジョウと読んで、教、目、常。
 居るはキョと読んで、巨。
 人はジンと読んで、神。

☆談(はなし)を納め、遂/やりとげるのは、教(神仏の教え)である。
 目(観点)は常に巨(大いなる)神である。

『城』1499。

2014-01-09 06:09:38 | カフカ覚書
「もちろんですよ」と、モームスは言って、得意そうに伏し目で左右を見わたしが、そこにはだれも見当たらなかった。「でなかったら、なんのためにわたしが秘書なんかつとめているのでしょう」

 得意そう/stolz→storen/乱す、妨害する。
 右/rechts→Leck/亀裂。
 左/link→ring/仲間。

☆「もちろんですよ」と、モームス(要因)は言った。妨害の沈んだような機関に仲間の亀裂を見たが、そこにはなにもなかった。「わたしは何のために、さもなくば秘密は何のためでしょう」