(ああ、この人は立派だなあ)と思うことがある。
それぞれの立場でそれぞれの見解を持ち貫いている人を見ると秘かに信服し、大きく肯いてしまう。
誰の評価を待つと言うのでなく、自分の生き方として信念を持ち、襟を正して暮らしを全うしている。《こう在らねばならぬ》という強い信念を他人に強要することなく静かに己自身に律している。
たとえば、博覧会には必ず足を運ぶ、散歩や運動を欠かさない、新聞や本をきっちり読み込んでいる・・・などと言ってしまえばそれきりである。もちろんそういう姿勢をも含んでいるかもしれないけれど、総体的に真直ぐに立ち自分自身の生きる糧をしっかり把握して日常の些事を怠らない人への憧憬である。
具体的にというのではなく、ごく抽象的に感じられる趣きへの共感。
時間は限られている、迫る取捨選択を自身の能力に競合させて自身を高めていく。その見えない気合いを垣間見る時、(ああ、この人は立派だなあ)と、つくづく感じ入ってしまうのである。
それぞれの立場でそれぞれの見解を持ち貫いている人を見ると秘かに信服し、大きく肯いてしまう。
誰の評価を待つと言うのでなく、自分の生き方として信念を持ち、襟を正して暮らしを全うしている。《こう在らねばならぬ》という強い信念を他人に強要することなく静かに己自身に律している。
たとえば、博覧会には必ず足を運ぶ、散歩や運動を欠かさない、新聞や本をきっちり読み込んでいる・・・などと言ってしまえばそれきりである。もちろんそういう姿勢をも含んでいるかもしれないけれど、総体的に真直ぐに立ち自分自身の生きる糧をしっかり把握して日常の些事を怠らない人への憧憬である。
具体的にというのではなく、ごく抽象的に感じられる趣きへの共感。
時間は限られている、迫る取捨選択を自身の能力に競合させて自身を高めていく。その見えない気合いを垣間見る時、(ああ、この人は立派だなあ)と、つくづく感じ入ってしまうのである。