続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

人として。

2014-12-06 06:52:22 | 日常
(ああ、この人は立派だなあ)と思うことがある。
 それぞれの立場でそれぞれの見解を持ち貫いている人を見ると秘かに信服し、大きく肯いてしまう。

 誰の評価を待つと言うのでなく、自分の生き方として信念を持ち、襟を正して暮らしを全うしている。《こう在らねばならぬ》という強い信念を他人に強要することなく静かに己自身に律している。

 たとえば、博覧会には必ず足を運ぶ、散歩や運動を欠かさない、新聞や本をきっちり読み込んでいる・・・などと言ってしまえばそれきりである。もちろんそういう姿勢をも含んでいるかもしれないけれど、総体的に真直ぐに立ち自分自身の生きる糧をしっかり把握して日常の些事を怠らない人への憧憬である。
 具体的にというのではなく、ごく抽象的に感じられる趣きへの共感。

 時間は限られている、迫る取捨選択を自身の能力に競合させて自身を高めていく。その見えない気合いを垣間見る時、(ああ、この人は立派だなあ)と、つくづく感じ入ってしまうのである。

『畑のへり』30。

2014-12-06 06:45:56 | 宮沢賢治
「よすかねえ。行ってしまった残念だなあ。」
「ぼくは遠めがねをとってくる。ぢゃさようなら。」

 行ってはコウと読んで、講。
 残念はザン・ネンと読んで、懺、念。
 遠めがねはエンと読んで、演。


☆講(はなし)で、懺(罪の許しをこう)念(考え)を演(おしひろめている)。

『城』1816。

2014-12-06 06:06:45 | カフカ覚書
相手から質問をされると、彼は、上半身をまっすぐに立て、頭を下げ、下唇を突きだしたままの恰好で、長いことじっとすわっていることができた。


☆築いた団体(国)として、戦いを低下させたのは、愚かな人間が投げかけたままの長い時代に、何も出来なかったからである。