続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

いつまで?

2015-02-17 05:52:17 | 日常
 今日は福祉会館(本町CC)に、吊るし雛の三回目(最終回)の講習に行く。七宝焼きのサークル日と重なってしまったけれど、そちらはやむを得ず欠席。

(両親を送り、子供たちも成長、もう自分の手は必要とされていない)と悟ってから早二十年近くの月日が流れた。自分の人生って何なのだろう。疲れ切って余力のない萎びれた自分にもできること・・・先ず身近な公民館活動から始まったわたしの活動。
 七宝焼きでアクセサリー作り、家庭の惣菜料理教室、編み物、浴衣縫製の講習、水彩画の手習い、それから近年は博物館主宰のイベント、美術館主宰のイベントなどへの参加、歩こう会・・・そうして過ぎてきた日々。内職に明け暮れた日々は次第に遠く霞んでいる。収入に勝る喜びはないけれど、それを諦めざるを得ない状況になったときの身の処し方、人の後ろにくっついてこそこそと活動しているけれど、それでも家に閉じこもっているよりはましという選択である。

 じつに消極的で、やっと無理に自分を動かしている態である。少しでも自分の人生が淋しく暗いものにならないように踏みとどまっている。こんな風にしている日常も、気づけば足元がおぼつかないほどの衰退。

(いつまで、みんなの後ろを歩いていかれるのだろう)最大の課題である。後ろを歩いて謙虚さを気取っていたものが、その欺瞞たらしい謙虚さも剥奪されかねない状況なのである。
 内心の慌てぶりは誰にも気づかれていないかもしれないが、直に露見することは目に見えている。

《いつまで、いつまで?》心の中でつぶやいている。どこにも出かけられなくなったら、その時はその時の・・・ああ、そんな考えではダメだ。明日はダメかもしれないけど、今日は、今日だけは頑張るという渾身の気概をもたなければ!

《いつまで?》ではなく《いつまでも》を、わたしの中の一つの信仰にしたい。

『冬のスケッチ』28。

2015-02-17 05:44:58 | 宮沢賢治
一〇  
   ちぎられし
   どてのひまより
   ひかりの天末
   かはるがはるのぞきたり。
        *
   あすこが千人の鉄山ですか、
   雪がよごれて黄いろなあたり。


☆天(最高神)の罰(こらしめ)は専(もっぱら)尋(聞きだす)ことを徹(つらぬきとおす)だけである。
 太陽の説(道理を述べて相手を納得させる)の考えである。

『城』1882。

2015-02-17 05:30:04 | カフカ覚書
 さて、このようにして、考えうるかぎりのあらゆることをまえもって考慮しつくし、すくなくとも成功の可能性がまったくないわけではないとわかると、もの思いの重荷から解放されて、ほっとらくな気持ちになったハンスは、なおしばらくのあいだ、まずKと、ついでフリーダとも子供らしいおしゃべりをつづけた。


☆さて、このようにして、すべて(死)を悟り、それを観察し熟慮した(結果)、成功の可能性が少なからずあり、締め出されることはないと分かると、ハンスは熟慮の負担から解放され、嬉しげに話したり、しばらくはフリーダ(平和)とともに、先祖の子孫とおしゃべりをつづけた。