続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

68才。

2015-02-19 06:42:11 | 日常
 2月6日をもって、68才になったわたし。

 もうこんな年かと悲観ばかりはしていられない。まだ本当の真髄に触れていないから。《ああ、そうだったのか》と、得心のいく日が来ることを、心の奥で期待している。そこを目指していると言ってもいい。
 核心の周りをうろつきながら遂に核心には至らず死期を迎えざるを得ないのかもしれないけれど。

「何をお探しですか?」
 仮に訊ねられても「何」と、答えることができない。そういう宿題を抱えている。近道はなく、遠回りしてもさらに道を見失うばかりのわたしの弛んだ日常。

 諦念をもって暮らせば、愉快かもしれない。捨てること、望みの空虚を消去しさえすれば、楽しい日々の連鎖が待ち受けているのではないかと夢想する。

 呼称も(おばさん)から(お婆さん)に変っていく瀬戸際。見知らぬ人に「お婆さん」と声をかけられたら「ハイ、わたしのことですね」と明るく返事をする心構えはずいぶん昔から予習しているけれど、胸のざわつきは押さえられない。そういうお年頃の教本が見つからない。
 どこから見ても似たような年配者が「あなたの方が若い」などと言い合っているのを見かけ、内心クスリとしたものだったけど、実際そういう年齢になってみると、この会話はあちらこちらで交わされる挨拶である。幾つになっても少しの差異が気になる。
「あなた達の方が足が丈夫でずっとお若い」友人たちに抱く膝痛病みのわたしの感想には、わたしも頑張って付いて行くわという決意が含まれている。
 認めざるを得ない欠落、補いが困難な状況、でも、明日こその希望に賭けている。

《もう68才、されどまだ68才》
 68才が楽しく豊かな一年になるよう、面白がっていくつもり。
(68才が、そんなに楽しいか?)と訝しげに首を傾げられたら「そうなんです」と答えてみたい。

『冬のスケッチ』30。

2015-02-19 06:37:01 | 宮沢賢治
   いただきの梢どもは
   つめたき天にさらされて
   けさなほ雪をかむりたり。
        *
   雪融の山のゆきぞらに
   一点白くひかるもの


☆章(文章)を展(ひろげる)説(はなし)を設(こしらえる)。
 幽(あの世)では、太陽(平等)が溢れていることを伝え、吐く(言う)。

『城』1884。

2015-02-19 06:28:05 | カフカ覚書
彼女は、ハンスにいろんなことを質問したが、とりわけ、彼が将来何になるつもりなのか、とたずねてみた。すると、ハンスは、ほとんどなにも考えもしないで、Kさんのような人になりたいとおもいます、と答えた。さらにその理由を問いつめられると、さすがに答えることはできなかったが、たとえば学校の小使いにでもなりたいのかと訊かれると、きっぱりそれを否定した。


☆彼に、どうしたいのかと質問すると、ハンス(国/団体)は考えることなしに先祖の人間としてKのようでありたい、と答えた。さらにその根拠を聞くと、あきらかに罪過に服するようなつもりはなく荒地など虚報(デマ)の言葉をきっぱり否定した。