続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

地球科学入門⑥

2015-03-02 09:41:46 | 博物館講座
〔柴田先生の授業〕

「わたしの主な研究対象は地層調査です。地層調査はどんな方法で行われるかをお話したいと思いますが、言ってみれば地道な作業の積み重ねです。
 クリノメーターは必携で、これによって地層の走行・傾斜の計測をします。それを地形図に記号を用いて記入していきます。地層の上下は級化層理(下から上に向って粒度が小さくなる構造)で判定します。自分の立ち位置を基点に地層面に平衡にクリノメーターを置きます。
 走行は必ず北から図り、「N40°E」と書けば、北から40°東にずれているということです。
 その際、傾斜方向と角度も、たとえば「北から50°西向き・傾斜37°北傾斜」というように記号で書き入れます。

 級化層理というのは重い物から先に沈みますから(砂岩・礫岩・泥岩)ということが判定の基準になります。砕屑物・砕層岩は、粒の粗いものはシルトといい、細かい物は粘土と呼びます。
 地層は水の中で出来ますが、火山の噴火による火山灰によっても出来ます。

 なおこれらをまとめたものがルートマップであり、地層の走行・傾斜や岩層などが記号によって判明します。地層の垂直的な重なりを柱として図示したものを地質柱状図といいます。このことにより、例えば古代三紀石城層〔福島県双葉地域)などでは、昔の水の流れの方向、斜交層理の傾きなども分かるのです。
 三浦半島には斜交層理が見える初声層があります。

 相模湾などはジャムスティック「なつしま」無人探査機「ハイパードルフィン」「深海6500」などによる物理的・化学的な海に関する総合調査が進められています。」


 脳のリハビリくらいの軽い気持ちでの受講。知らないことを知るって楽しい。地球・太陽・宇宙の中で小さく生息しているわたし、《400万年前がつい最近って!》頭がくらくら・・・。
 柴田先生六回にわたる授業ありがとうございました。(劣等生ですが「○○も山の賑わい」ってとこで勘弁して下さい)

一家五人。

2015-03-02 06:56:27 | 日常
 息子が一家でやって来ると、狭い我が家は満杯。
 三男は籠の中で静かに眠っているけれど、上の二人の孫は静かだなと思うと何かいたずらをしている。電気をパチパチ消したり点けたり、なにか面白いものはないかと探し回っている。
 時々行方不明になる物もあって、寒暖計などは未だにどこに行ったやら。

 そんな風だから何を悪戯したかは、明らかになるまでは不明状態。飲みにいった夫の帰宅、寝ぼけ眼で時計を見たら深夜の二時半・・・「何してたの、こんな時間まで」と文句を言ったら「えっ、十一時前だぞ」「?」
(ああ、そういえば、枕元の時計をガチャガチャしてたっけ、ハイ、了解)

 今回は障子も破かないし、雨のため外に出ることもなく濡れ縁から落下することも避けられたけど、とにかくいたずら盛り・・・。どうするの、これからが心配だけど、こんなもんかもしれない。

 午後から息子夫婦は揃って試験会場へ。財務管理とか・・・。大変だけど、まぁ気楽にね。「六月にもあるから」と息子。(推して知る・・・)イチに健康、ニに健康、サン、シがなくて、ゴに健康。それから勉強かな?(そういう風に育てたのに、先月は緊急入院するなんて、ビックリ)

 
 五人家族、息子は思いやりのある愛妻家。(お母さんは便利屋か?ひがみたくなるね)三人の子供に恵まれて、大変だけど頑張って! ところでキヨちゃん、ピアノ教室の女の子に「結婚したい」って言われたとか・・・優しさは伝わるんだね。


 こうしてブログなんか呑気に書いているけど、書かせてもらっているんだと思う。もし一緒に暮らしていたら、ブログなんかに現を抜かしている場合ではない。五人家族の重さに匹敵するようなブログを目指そう。

『冬のスケッチ』40。

2015-03-02 06:43:49 | 宮沢賢治
一四  天の川をばはがめたり
    
    あまの川の小き爆発
    たよりなく行ける鳥あり
    かすかにのどをならしつゝ
    ひとはつるべを汲みあぐる


☆展(くりひろげ)宣(のべること)が潜(ひそんでいる)。
 暴(明らかにし)、発(外へ出し)、考え、調(しらべて)、究(つきつめる)。

『城』1894。

2015-03-02 06:23:17 | カフカ覚書
14章
 ハンスが出て行ったのは、ちょうどよいときであった。というのは、彼が出て行くなりすぐに、教師がドアをがらっとあけて、Kとフリーダが悠々と食卓についているのを見ると、がなりたてたのである。


☆ハンス(国/団体)が立ち去ったのは最高の時代だった。というのは、その後、空虚な愚人が分裂したからで、Kとフリーダ(平和)は、休息(永眠)が粗野な監獄なのを見て、泣き叫んだのである。