続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『湘南の画家』展/李禹煥。

2015-03-17 06:52:29 | 美術ノート
 今さら言うまでもないことかもしれない。けれど神奈川県立近代美術館で開催されている『湘南の画家たち』展を見て、やっぱり、と震撼とさせられてしまった。

『線より』
 Lee-Ufanの仕事は、緊張・緊迫による世界(限られた二次元/平面)への挑戦である。精神の高揚と抑制を限りなく必要とする『無』にも関わる時間。(この線は引けない・・・と、わたしは作品を見ながら後ずさりしてしまう)
 達筆というのとも違う。具体性(意味)を持たないからである。形を求める場合、形に近づく努力を惜しまなければ、それなりの成果が得られるが、それとは隔絶した世界である。

 熟慮の時間は、絶え間なく襲う次の線へ挑むエネルギーに変換させられる。位置(配置/順列)を身体で計測することは、手先の作業を超え、全身の直観力を要求されるはずだから。
 教則はなく、自身の存在感だけが拠り所である。一般に余白というが、空間(世界)との対峙である。

《自分の精神と世界の距離を測ること、その媒体としての作品である》

 作品を前にすると、静謐な時間が流れているのを感じる。人間の呼吸やトキメキが凝縮している・・・いわば「永遠の時」と名づけたいような時の深さである。

 この作品の前で立ちすくんでいる人を見かけたら、わたしは泣いてしまうかもしれない。

『冬のスケッチ』55。

2015-03-17 06:35:31 | 宮沢賢治
       * なやみ
  なやみは
  ただし。
  なやみは
  白くみゆ。 
       *
  かばかりも
  しづむこゝろ
  雪の中にて
  蝉なくらしを。
       *
  雪の蝉
  又鳴けり。


☆吐く(言う)説(はなし)は忠(心に偽りがない)善である。
 説(話)は全て幽(あの世)の命(運命)である。

『城』1909。

2015-03-17 06:25:46 | カフカ覚書
 こういうわけで、Kは、橋屋までひとっ走り行ってこようとしたのだが、命令が変ったので、すぐまた、先ずこの部屋を片づけて、女教師がクラスの生徒たちを連れて移ってこれるようにしようとした。


☆こういうわけで、言葉による一族を通過しようとしたのだが、命令が変ったのですぐまたこのテーマを整理し、空虚(幻影)が門にやって来られるようにした。