マグリット『すみれの歌』は、二人の男、もしくは空(壁)が岩石と化しているという奇妙な光景である。
世界が石(無機質)になるなどとは到底ありえない。時間は止まるだろうか、否、宇宙全体時間は不可逆である。しかし少なくとも人間(有機質)よりはその姿を長く留めることはあるかもしれない。
人間が石になる・・・つまりは精神の剥奪である。考えることを止め、活性はなく、肉体的衰退/腐敗もない。生死がなければ、子孫も存在しえない。このことが意味することは《人間性の全否定》である。
しかし、こうも言えないだろうか。石(無機物質)からの言い分である。石が人間の形態をとるなんてことが自然界においてあるだろうか、まして世界が石に変貌するなんて!人間の驕りであり、《岩石の否定》である。
一見し、人型(人であるらしい)と岩石(石であるらしい)であることは見て取れる。人間と岩石の肯定・・・初めに肯定はある、しかしこの光景は、矛盾というよりは疑惑を鑑賞者に向かって突きつけている。
人間側(有機物質/生命体)の否定と、石側(無機物質/大地を支えるもの)の否定。二重の否定がこの場面における同時性として告げられている。
もし人間が石になっている不思議だけに目を凝らすとすれば、それは人間側の観念であり、優位性の驕りに過ぎない。
マグリットは二重の否定のなかで、世界を静観している。存在の礎でもある大地(地球を覆う岩石)と、活かされている人間存在。大いなる宇宙の中の時間の静謐・・・究極、「人間/生命」への問い、最大の課題である。(写真は『マグリット』西村書店刊より)
世界が石(無機質)になるなどとは到底ありえない。時間は止まるだろうか、否、宇宙全体時間は不可逆である。しかし少なくとも人間(有機質)よりはその姿を長く留めることはあるかもしれない。
人間が石になる・・・つまりは精神の剥奪である。考えることを止め、活性はなく、肉体的衰退/腐敗もない。生死がなければ、子孫も存在しえない。このことが意味することは《人間性の全否定》である。
しかし、こうも言えないだろうか。石(無機物質)からの言い分である。石が人間の形態をとるなんてことが自然界においてあるだろうか、まして世界が石に変貌するなんて!人間の驕りであり、《岩石の否定》である。
一見し、人型(人であるらしい)と岩石(石であるらしい)であることは見て取れる。人間と岩石の肯定・・・初めに肯定はある、しかしこの光景は、矛盾というよりは疑惑を鑑賞者に向かって突きつけている。
人間側(有機物質/生命体)の否定と、石側(無機物質/大地を支えるもの)の否定。二重の否定がこの場面における同時性として告げられている。
もし人間が石になっている不思議だけに目を凝らすとすれば、それは人間側の観念であり、優位性の驕りに過ぎない。
マグリットは二重の否定のなかで、世界を静観している。存在の礎でもある大地(地球を覆う岩石)と、活かされている人間存在。大いなる宇宙の中の時間の静謐・・・究極、「人間/生命」への問い、最大の課題である。(写真は『マグリット』西村書店刊より)