続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

M『すみれの歌』

2015-03-21 07:13:58 | 美術ノート
 マグリット『すみれの歌』は、二人の男、もしくは空(壁)が岩石と化しているという奇妙な光景である。
 世界が石(無機質)になるなどとは到底ありえない。時間は止まるだろうか、否、宇宙全体時間は不可逆である。しかし少なくとも人間(有機質)よりはその姿を長く留めることはあるかもしれない。

 人間が石になる・・・つまりは精神の剥奪である。考えることを止め、活性はなく、肉体的衰退/腐敗もない。生死がなければ、子孫も存在しえない。このことが意味することは《人間性の全否定》である。

 しかし、こうも言えないだろうか。石(無機物質)からの言い分である。石が人間の形態をとるなんてことが自然界においてあるだろうか、まして世界が石に変貌するなんて!人間の驕りであり、《岩石の否定》である。

 一見し、人型(人であるらしい)と岩石(石であるらしい)であることは見て取れる。人間と岩石の肯定・・・初めに肯定はある、しかしこの光景は、矛盾というよりは疑惑を鑑賞者に向かって突きつけている。
 人間側(有機物質/生命体)の否定と、石側(無機物質/大地を支えるもの)の否定。二重の否定がこの場面における同時性として告げられている。
 もし人間が石になっている不思議だけに目を凝らすとすれば、それは人間側の観念であり、優位性の驕りに過ぎない。

 マグリットは二重の否定のなかで、世界を静観している。存在の礎でもある大地(地球を覆う岩石)と、活かされている人間存在。大いなる宇宙の中の時間の静謐・・・究極、「人間/生命」への問い、最大の課題である。(写真は『マグリット』西村書店刊より)

『城』1913。

2015-03-21 06:51:12 | カフカ覚書
 ふたりは、しばらく無言で仕事に精をだしていたが、やがてフリーダが、あなたはなぜいまになって急に先生の言い付けどおりになさるのですか、とたずねた。


☆小舟の先祖はしばらく黙って現在不在証明をしていたが、フリーダ(平和)が、あなたは何故今ごろになって空虚(幻影)の予言者に合わせようとするのですかと、たずねた。