続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

夕焼け。

2015-07-14 07:27:46 | 日常
 ♪まっかかか 空の雲、みんなのお顔も まっかか ギンギンギラギラ 日が沈む♪

 (あぁ、明日も天気だ)と思いながら夕日を胸いっぱい吸い込む。
 昨日は一日中汗が退くことはなかった。TVでは熱中症で搬送された人のニュースが流れ、猛暑であったことが報告されていた。

「エアコンを点けようか」と夫。
「何言ってんの、昔しのげたことが、なんで今頃我慢できないの!」とわたし。
(ごろごろしていればそのうち秋になるわ)


 ところが今の常識は違うらしい。「エアコンを点けましょう」TVでも冷房を促している。
「特にお年寄りが危ない」って、わたしのこと?

 ぐうたら、ごろごろ・・・夏はそういう風に過ぎていくのが定番。(えっ、違うの?)


 夕焼雲は昔と変わらないのに・・・恨めしく空を見ていた夕べ。

マグリット『アルンハイムの地所』②

2015-07-14 06:41:53 | 美術ノート
 つまり、終わりと始めを言及しているのではないか。

 月は二十六日の月、もう少しで消えかかり、新月になる前兆である。終末の月と換言してもいいかもしれない。
 手前、開口部にある鳥の巣の中の卵、これはもう少しで誕生する前兆、生命の始まりである。

 その二点に挟まれるように鳥が羽を広げた形の山岳が存在している。ちなみに星の点在はあきらかに夜を示唆しているが、深夜に二十六日に月は南中しない。つまり、虚構の証である。


 始まりと終わり…自然の理を肯定する鳥の頭部に酷似した一角を有する山。

 視覚を挑発する条件は必要十分を満たして静かに作品の中におさまっている。仮にその頭部がハトだとしたら、大家族の発端であるオリーブを口にくわえた伝説を無言で否定するものかもしれない。マグリット自身が鷲だと明言するならば、その憶測は否定の否定、つまりそれでいいのだと伝説を肯定していることになる。

 『前兆』では岩窟から覗く緑の林が垣間見えている。鳥の羽は『アルンハイムの地所』に比して少し上がっている。それが歓喜なのか驚きなのかは不明であるけれど、山が動くことの大いなる脅威は、確かに発端(世界が動くこと)における前兆である。

 マグリットは確かに発端と未来永劫続くであろう時空の果てを視覚を刺激する手法で思考している。

 《言葉ーイメージー視覚》この循環は、世界を問う存在論的な問題提議の場と化している。心理学的な私的構築の地所(空間・領域)であり、生死・新旧の輪廻を言及したものだと思う。

(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

※全く同じ画面で、月だけが三日月になっている作品があった。(『アルンハイムの領地』1962年/(㈱美術出版社)
 要するに、鳥が先か卵が先かという問題。三日月(新しい誕生)と卵(鳥の生殖/結果)、繰り返される生と死の時空。新旧、生死の普遍的な永続性、自然の理への一石である。

『銀河鉄道の夜』16。

2015-07-14 06:28:27 | 宮沢賢治
「ですからもしこの天の川がほんたうに川だと考へるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考へるならもっと天の川と似てゐます。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでゐる脂油の球にもあたるのです。


☆旋回(もとにもどる)章(文章)を運(めぐらせている)。
 展(くりひろげる)千(たくさん)の遷(うつりかわる)講(はなし)が逸(かくれている)。
 溢(たくさん)の償(あがない)を詮(あきらかにする)。赦(罪や過ちを許し)謝(わびる)。
 己(わたくし)は、新しい流れの講(はなし)を展(くりひろげる)。
 選んだ字の衝(重要なもの)を入れ、再び詞(ことば)を輸(移し)求める。

『城』2021。

2015-07-14 06:10:35 | カフカ覚書
彼らのために城のことや息子としtの義務をちょっとでも思いださざるをえなくなると、自分の幸福が手ひどく、とりかえしがつかないほど妨げられるとでも言わんばかりの憤慨ぶりであった。


☆彼らのために終末や太陽の責務について、先祖が思い出さざるをえなくなると、自身の運命の妨害に驚くことはなかった