続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『観念』

2015-07-15 06:36:08 | 美術ノート
 比較的分かりやすい、そのものという作品。(に見える)

 林檎(果実)に被せられた、信仰における固定的・一般的な見解。善悪を知る木であり命の木とされる木の実である。

 人間の宿命、誕生したからには死を免れないものであり、不可逆をたどるという直線的な時空を生きねばならない。

 マグリットは考える。
「存在とは何か」と。神が与え給うものとして信心深く敬虔に生きることの意義。予め用意された思慮・表象を正義として生きることが、果たして現実的と言えるのだろうか。
 観念とは、定型化された同質の頭(知覚)なのではないだろうか。社会に属しその一員たる着衣の上にある頭(想念)の中身を鑑みる。

 恐ろしいまでに画一化された固定観念という束縛、あるいは感化を懐疑する。(滑稽ではないだろうかと)


 観念という常識は、ある種抽象的であって、具体性を持たない。頭の中に教育された不可思議な連鎖を強要するシステム。
 反逆の術はない、しかし、物の有り様は告発する。
 頭部の代りに描かれた果実(林檎)を凝視すると、そこはかとない空虚が漂ってくる。描かれた人間らしきものが、見る者を冷静に観察してる。

 この作品を見る者は、明らかに問われているのではないか。

(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『銀河鉄道の夜』17。

2015-07-15 06:20:21 | 宮沢賢治
そんなら何がその川の水にあたるかと云ひますと、それは真空といふ光をある速さで伝へるもので、太陽や地球もやっぱりそのなかに浮かんでゐるのです。


☆化(形、性質を変えて別のものになる)の遷(うつりかわり)を推しはかる運(めぐりあわせ)である。
 真(真理)という空の講(はなし)を束たばね)伝える。
 他意の要は、智(物事を考える能力)を究(つきつめた)譜(物事を系統的に書き記したもの)である。

『城』2022。

2015-07-15 06:05:04 | カフカ覚書
しかし、彼は、自由な時間がたっぷりあったのだ。というのは、ギーザが彼のまえにあらわれるのは、一般に授業のときと練習帳をしらべるときにかぎられていたからである。これは、もちろん、打算からそうしているのではなく、彼女は気らくな生活が好きで、したがって、ひとりきりでいることを無上に愛していたがためにすぎない。


☆それにもかかわrず、彼には自由な時代が有り余るほどにあったのだ。何となれば、ギーザ(総体)が彼の前に現れるのは、死の猶予の時間に限られていたからである。これはもちろん計算ではなく、すべての先祖の存在を無上に愛していたためである。