続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『星座』

2015-08-04 06:55:11 | 美術ノート
 雲で覆われた空のどこに星座が見えるのか。第一日中のような景色である。
 手前の赤色の幕には、オリーブの葉から変容した形の二羽の鳩がシンボルとして中央に位置してる。
 遥かな平原の向こうに見える小さな山は、手前の二本の巨大さを示すための物かもしれない。
 『空気の平原』に描かれた肥大化した化石状の一葉が、茂る樹木の後方に聳えている。どちらも唐突であり、この二本のみが在るというのも奇妙な光景である。

 この光景をもって『星座」と名づく。


 全く任意に描かれたこれらのオブジェ・・・この配置が星座に通じる寓意性をもっているのか。
 星座とは、夜空を見上げそれぞれ目につく星を点として線でつなぎ想起させた具象体、星の集まりである。


 ノアの箱舟における(鳩とオリーブの葉)、それに巨大化しひび割れた化石。たとえ億年を経ても、そのシンボル性を失わずに立ち続ける一葉(人為)。その手前の自然の樹木(自然)はまるで影が薄い、飲み込まれるような関係性である。小島は大陸(国家)かもしれない。

 星座、人の妄想が作り上げた想像の産物。方向を見失わないように名づけられた人智でもある。
 星座は巡る、北極星(北天)を軸に巡る定めの星座。

 
 この星座は信仰の金字塔を暗示しているのかもしれない。《世々代々世界の中心はここに在る》という気がする。
「わたくし(神)が世界の中心である。人類(大家族)はここに始まり、潰えることのない精神世界の軸である。」そういう主張を感じる。
 しかし、天空は雲で覆われ、青色の雲は暗濁を交えている。下方の白雲も薄い黄色に微かな不安を含ませている。
 (夜空の星を、この手でつかみ取ることが不可能なように、信仰もまた個人の手でどうすることもできない)


 答えは超未来に至っても明白ではないけれど、星座は指針として輝きを失わないものかもしれない。

(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

『銀河鉄道の夜』37。

2015-08-04 06:18:58 | 宮沢賢治
その人は黙ってそれを受け取って微かにうなづきました。
 ジョバンニはおじぎをすると扉をあけてさっきの計算台のところに来ました。するとさっきの白服を着た人がやっぱり黙って小さな銀貨を一つジョバンニに渡しました。


☆途(みちすじ)の目(標題/ねらい)を聚(集め)修(整える)。
 備(あらかじめ用意しておく)秘(人に見せないように隠す)。
 啓(人の目を開いて理解させる)のSun(太陽)が題(テーマ)の記であると吐く(言う)。
 複(重ねて)惹(ひきつける)図りごとの章(文章)を吟じる。
 化(形、性質を変えて別のものになる)が溢れる図りごとである。

『城」2042。

2015-08-04 05:51:27 | カフカ覚書
あのシュヴァルツァーのやつがいなければ、こんなふうにか、あるいは、これと似たようになっていたかもしれないのだ。むろん、その場合でも、当局は、おれの件を問題にしつづけただろう。しかし、しごくのんびりと、お役所の執務規則どおりにやり、たぶんお役所のいちばんきらう相手がたの焦慮にわずらわされずにすんだことだろう。


☆あのシュヴァルツァー(影の人)がいなければ、あるいは先祖のようなことになっていたかもしれない。その場合、当局は大きく構えるだろう。しかし、静かに正規の手続きをふめば、関係者の性急さが嫌われ。誰からも邪魔されることはないだろう。