形態としては角柱の物が台座の上に横に置かれ、片側は斜めに切り落とされ、小さな四角の突起が幾つか覗いている。もう片側は垂直に切り落とされた面である。
等しく刻まれた線状が多数見え、その前後には台座に固定するべく抑えがある。
刻みの線状は、時間に見える、なぜなら等しい間隔を保っているからで、この四次元空間においては時間に収縮はない。
抑えの危惧は台座から伸びているように見え、振動尺をしっかり固定するかの鋲が打たれている。
台座は地面、地表面と見ていいと思う。
『Ⅰ-5-1~7』の円柱に対し、こちらは角柱である。その差異は何だろう、円柱は自然体であり、角柱は張りつめた神経を思わせる。片側に見える突起も、どこか精神のアンバランス(不安定状態)を暗示しているような気がする。
重さに関して言えば、それなりの重量感はあるが、よく見ると少々浮いている…では、あの前後の抑え金は、振動尺を飛躍させないためのものなのだろうか。
どう見てもこの物は、地表面にしっかり固定されているように見えるが、単に見せかけであって、振動尺そのものは自由な飛躍を求めているのかもしれない。しかし、重力下の法則はそれを許可しない。
時間と空間は常に視界を制約する。自然を含む対象と自分との距離は、法則の下での変容であって精神的な飛躍を受け入れない。
しかし、作家は微妙な空気の揺れ(振動)を感じる。単調ではない空気圧、見えないものの形に執拗に迫る感性。観念的に見過ごせる空気感に時間をくみ取る感覚、それも存在の根源に迫る願望をもっての眼差しである。
これらの試作にはドラマチックな感動が潜んでいる。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)
等しく刻まれた線状が多数見え、その前後には台座に固定するべく抑えがある。
刻みの線状は、時間に見える、なぜなら等しい間隔を保っているからで、この四次元空間においては時間に収縮はない。
抑えの危惧は台座から伸びているように見え、振動尺をしっかり固定するかの鋲が打たれている。
台座は地面、地表面と見ていいと思う。
『Ⅰ-5-1~7』の円柱に対し、こちらは角柱である。その差異は何だろう、円柱は自然体であり、角柱は張りつめた神経を思わせる。片側に見える突起も、どこか精神のアンバランス(不安定状態)を暗示しているような気がする。
重さに関して言えば、それなりの重量感はあるが、よく見ると少々浮いている…では、あの前後の抑え金は、振動尺を飛躍させないためのものなのだろうか。
どう見てもこの物は、地表面にしっかり固定されているように見えるが、単に見せかけであって、振動尺そのものは自由な飛躍を求めているのかもしれない。しかし、重力下の法則はそれを許可しない。
時間と空間は常に視界を制約する。自然を含む対象と自分との距離は、法則の下での変容であって精神的な飛躍を受け入れない。
しかし、作家は微妙な空気の揺れ(振動)を感じる。単調ではない空気圧、見えないものの形に執拗に迫る感性。観念的に見過ごせる空気感に時間をくみ取る感覚、それも存在の根源に迫る願望をもっての眼差しである。
これらの試作にはドラマチックな感動が潜んでいる。
(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)