続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『三浦半島の自然誌』①-2

2015-11-06 07:34:38 | 博物館講座

 「三浦半島の昆虫相の変化」
 ◎広域分布種・準広域分布種・局地的分布種・局地的健在種(浅黄マダラ/猿島)・少数健在種(ミヤマカラスアゲハ/大楠山)
 *過去の何らかの原因による減少から回復した種。(クロコマチョウ・ツマグロヒョウモン・ナガサキアゲハ・ムラサキシジミ(カラタチ・夏みかん系の樹)
 *増加の原因は不明な種。テンガチョウ(えのき)
 *減少した種。ミドリシジミ(ハンの木・湿地)
 *現象の原因が不明な種。
 *減少し近年記録がない種。ウラギンシジミ
 これらは35年前からの記録ですから、それ以前に絶滅していたと考えられる種もあります。
 *温暖化による北上種。ナガサキアゲハ

 ◎偶産・生息域でない場所で見つかること。
 *人間活動が影響しているケース(外来種)
  *分散や迷蝶
 *単発的に記録された種。クジャクチョウ
 *一時的に発生した種。カバマダラ(佐島の丘/風船トウワタ)
 *外来種。侵入において人間活動の関与が明らかな種。アカボシマダラ(エノキにつくが本来沖縄以南)
 *侵入後まだ定着が確認されていない種。
 *帰化植物や植栽植物にのみ依存して分布を広げている種。
 *侵入後、定着された種。ムラサキツバメ

 『昆虫誌から昆虫史へ』
 原始的な昆虫(羽が生えていない)三浦半島では4000種。

「次回は高次分類(カテゴリ)を分けてお話します。」とのこと。
内舩先生、ありがとうございました。

 (これからは昆虫を見たら写真に収めることを心がけたいな)と、思った授業でした。


『三浦半島の自然誌』①

2015-11-06 06:36:01 | 博物館講座

〔内舩俊樹先生の授業〕

 「ここ三浦半島で確認されている昆虫は3万~5万種ですが世界では100万とも200万ともいわれています。
 海の底でできた横須賀の大地は陸伝いに風や動物に運ばれ、様々な植物が繁茂したと思われます。安定した環境で次々に交代し、樹もうっそうと茂るようになりました。
 700万年前の狩猟の時代から農耕の時代に移り、開墾された水路が作られると同時に樹は燃料や建材として採取されるようになりました。
 これらの状況はほんの100年ほど前まで続いていたスタイルです。

『際や縁』
  小さなグラデーションが生き物の棲み分けを可能にしています。たとえば、水田の周辺、林と草地と水辺の間などです。ただ、人間の活動による植生の変移はバランスを崩してしまいます。
 自然環境は「多様性のゆりかご」などと称せられますが、それらは耕作の変化によるところが大きいのです。つまり、化学肥料や農薬を使用すること、そして離農者が増え耕作地自体の減少による土質の変化が環境を変えてきています。
 川岸や海岸などの護岸化もそれに類する問題を生じさせています。
  雑木林も台地などでは宅地化が進んでいます。
  人口密集地の舗装道路と建物による地表の被覆などもあります。

 最近になりこれら自然の要素の質的変移に気付き、自然の豊かさを実感できる横須賀を取り戻そうという気運が高まってきました。さまざまな再生・保全活動がその例であり、自然体験の環境教育というものが実施されています。

 自然誌≒博物学ですが、自然史は系統的な自然の歴史を指します。
 中国(明)より伝来した「本草綱目」に基づく本草(薬物学)を源流に探求が進められてきました。

『三浦半島の昆虫史』
 1907年に初めての蝶の公式な記録があります。ですから、昆虫史における時間のスケールはごく最近始められたばかりということです。この辺りの特質としては海に囲まれた温暖な気候があげられます。
 ちなみに生物はすべからく海から進化し、陸上にきて爆発的に進化しましたが、海の中の昆虫というものは存在していません。ケシウミアメンボは海面上に目撃されますが、海中には生息していません。
 次世代に子孫を残そうと、分布域を拡大するため分散させます。結果として近年では温暖化による北上などで昆虫相の変化が認められるようになりました。


「銀河鉄道の夜」131。

2015-11-06 06:14:44 | 宮沢賢治

ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振りました。するとほんたうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかゞやく三角標も、てんでに息をつくやうに、ちらちらゆれたり顫へたりしました。


☆等(平等)は真(真理)也。
 現れる衷(心の中)の照(あまねく光があたる=平等)は当(あたり前)である。
 散(バラバラなもの)を較(くらべ)評(しなさだめをする)。
  測(おしはかること)は千(たくさん)ある。


『城』2136。

2015-11-06 06:09:16 | カフカ覚書

だとすると、身分の低い従僕のひとりであると言えないこともないでしょう。ところが、下級従僕たちは、すくなくとも村へやってくるかぎりでは、まさしく官服を着ているのです。


☆要するに先祖の低級な晩餐であると言えます。ところがこの人たちは来世にやって来るかぎりにおいては、並べて公の提案をもっているのです。