『大潮』 [The Spring Tide〕
この絵を見て「大潮」と言われても…困惑しきり・・・。
まず額(象徴)がある、その中には「青空と雲=自由・開放」が描かれている。
しかし、ここには《鈴》の点在がある。よく見ると雲に隠されてランダムに感じるが、極めて規則正しく整列された鈴(言葉)の並びである。
額の周囲は暗澹としており、幾多の小石を含む小さな岩が、それ(額)を取り囲むように在る。額の上に乗っている小さな岩もある(浮いているのかもしれない)。
そして、その背後にも岩(石)が覗いている。この岩(石)は、全様を隠しているだけに大きさは不明である。
光は左上から射しており、額の影も右側にそれと認められる。
にもかかわらず、額の上にある小さな岩の影は額の手前に落ちている。床面(地)にある岩の影と額上にある岩の影の光源は違うところにある(明らかなる不条理である)
(ちなみに「光あれ」といったり、天照大神がいたり・・・)
額の上や背後の岩は、手前の小さな岩石とは異世界にある。額の上にあるということは、額に描かれた世界を抑えている/制圧しているということではないか。
つまり、自然界に対する横暴、言語による支配を暗示している。
不揃いな小石(岩)たちはその前で、茫然と在るのみである。この小石(岩)たちは時代を隔した遠い未来、あるいは原始の人たちの眼差しであるのかもしれない。
過去あるいは未来たちが、ある時代(現代)の自然を犯した風景を見ている。
『大潮』とは、干満の落差が大きいことであり、太陽・月・地球(太陽・地球・月)と一直線に並んだ時の引力による現象であるが、この作品でいう『大潮』とは、《自然と人為的権力(鈴=言語/支配)による暴挙》の落差を言っているのではないか。
『大潮』とは《はね返された形勢=反自然》として揶揄したものと思われる。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)