続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『大潮』

2015-11-10 07:00:25 | 美術ノート

『大潮』 [The Spring Tide〕
 この絵を見て「大潮」と言われても…困惑しきり・・・。
 まず額(象徴)がある、その中には「青空と雲=自由・開放」が描かれている。
 しかし、ここには《鈴》の点在がある。よく見ると雲に隠されてランダムに感じるが、極めて規則正しく整列された鈴(言葉)の並びである。
 額の周囲は暗澹としており、幾多の小石を含む小さな岩が、それ(額)を取り囲むように在る。額の上に乗っている小さな岩もある(浮いているのかもしれない)。
 そして、その背後にも岩(石)が覗いている。この岩(石)は、全様を隠しているだけに大きさは不明である。
 
 光は左上から射しており、額の影も右側にそれと認められる。
 にもかかわらず、額の上にある小さな岩の影は額の手前に落ちている。床面(地)にある岩の影と額上にある岩の影の光源は違うところにある(明らかなる不条理である)
 (ちなみに「光あれ」といったり、天照大神がいたり・・・)

 額の上や背後の岩は、手前の小さな岩石とは異世界にある。額の上にあるということは、額に描かれた世界を抑えている/制圧しているということではないか。
 つまり、自然界に対する横暴、言語による支配を暗示している。
 不揃いな小石(岩)たちはその前で、茫然と在るのみである。この小石(岩)たちは時代を隔した遠い未来、あるいは原始の人たちの眼差しであるのかもしれない。
 過去あるいは未来たちが、ある時代(現代)の自然を犯した風景を見ている。


『大潮』とは、干満の落差が大きいことであり、太陽・月・地球(太陽・地球・月)と一直線に並んだ時の引力による現象であるが、この作品でいう『大潮』とは、《自然と人為的権力(鈴=言語/支配)による暴挙》の落差を言っているのではないか。
『大潮』とは《はね返された形勢=反自然》として揶揄したものと思われる。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』135。

2015-11-10 06:34:00 | 宮沢賢治

 線路のへりになったみじかい芝草の中に、月長石ででも刻まれたやうな、すばらしい紫のりんだうの花が咲いてゐました。


☆千(たくさん)露(あらわれる)詞(ことば)は双(二つ)を注(書き記している)。
  合わせて重ねる釈(意味を解き明かす)を告げる。
  詞(ことば)の化(形、性質を変えて別のものになる)を査(しらべる)。


『城』2140。

2015-11-10 06:24:22 | カフカ覚書

そういうときにわいてくる疑問は、いったい、バルナバスがしていることはお城にたいするご奉公だろうか、ということです。たしかに、彼は、官房にはいっていきます。でも、これらの官房は、ほんとうのお城でしょうか。


☆要するにバルナバス(生死の転換点)が行う死の礼拝は、いかにしてなされるか。確かに彼は秘書局へ入っていきます。しかしながら、司書局は本当の終末(死)でしょうか。