『赤いモデル』、いったい何のモデルなんだろうかと考え込んでしまう。
明らかに裸足と見えるものが靴に変容していく不気味。舗装のないむき出しの地面、バックは石垣という空間。
痛々しげである。傷はなく真っ新であるが、傷だらけ血だらけの惨状が容易に想像される態である。
楽園・裕福と言った豊かな世界とは隔絶された《貧・労働》のイメージがある。
赤い《The Red》は共産主義(もしくは前段階としての社会主義)を指しているのだろうか。国家による統制、私有財産制を廃止し、全財産を共有しようとする思想の《赤》なのかもしれない。目指すのはユートピア、誰もが願う平等ではあるが、大きな矛盾が立ちはだかる思想でもある。
資本主義崩壊のための戦い、プロレタリアの独裁…翻弄される市民層。
個性の尊重よりも等しく労働に就く義務を強制される傾向は「野蛮きわまりない」というマグリットの意見に同調するものである。
これは強制労働を想起させる道具立てかもしれない。つまりは《赤い思想》を単純化し、暗示しているのだと思う。
「足と革靴の接合」というのは、「人の足が一個の労働足り得る」ということを証明して見せた図であり、「途方もない習慣」というのは、支配されることの慣習化という意味だと思う。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)