続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

占い。

2015-11-12 15:11:54 | 日常

 一年に一度の約束、加代子さんとバザーに出かけ、中華街で食事。通りに出ようとして『占い』(995円)に遭遇。
 (安いかも…ちょっと寄って行こうかな~♪)

「うーん、すごいな。あなたどこまでも仕事運がついています。60.70.80.90~」
(ええっ、90まで生きるの?)
「何の仕事しているの?」「・・・ちょっと」

 まぁ、いい傾向かもしれない。運気向上なんて・・・。「68才だから、この先って言ったって・・・」と、言い淀んでいると、
「真面目にコツコツ努力していますね」
「どんな仕事をしているの?」
 小さい声で「アート・・・」
「ああ、絵を描いているんですか」「いえ、いえ、そういうんじゃないんです!」
(文学)・・・でもないか。
「とにかく、いい線が出ていますよ!」
(話半分でもうれしいわ、孤独な作業に明け暮れていますから・・・)

「好奇心も旺盛ですね」「うん、うん」と観てくれる。
「ああ、気管支が弱いようですね・・・それと膝。それに肩こり、目の視力も落ちていますね」と言う。(こちらはズバリ!)

 当たるも八卦、当たらぬも八卦・・・励まされたことだけは確か。
「身体に気を付けてくださいね。」(ありがとうございます)

《中華街占連合》の方、ありがとうございました。
 血液型を問われて「O型です」二人同時に答えた。三十年以上前からの友人の血液型、(同じだったんですね、)初めて知りました。

 あれやこれやのおしゃべり…加代子さん、またお会いしましょうね。


マグリット『傑作あるいは地平線の神秘』

2015-11-12 07:03:47 | 美術ノート

『傑作あるいは地平線の神秘』
 三人の男(一人の男の分解)の頭上にそれぞれ三日月がかかっている。平らな地平線、時刻は・・・。

 時刻は夕方であると思われる薄闇である。三日月が見えるということは太陽が沈んだ後であり、没した太陽が下から照らしているのだから、三日月というものは夕刻光っている側を下にして沈んでいく。よって、三日月が垂直に立つということはない。
 頭上に輝く垂直の三日月は有り得ない。
 もし、南中時であるというのならば、三日月を見るのは難しい。(というか、見えない)
 左端の男の向きを仮に南とすれば、真中の男は東であり右の男は西を向いていることになる。要するに正面以外の全方向ということである。
 この有り得ない(見えないはずの)月を頭上に描く意図は何か。(男たちは月を見ているわけではなく、方向を指し示しているだけである)

 見えないはずの垂直の月、分解されるはずのない一人の男、地球と空との境を水平に描いていること。
  虚偽であり、矛盾である。
 この月を正しい位置にするためには男たちを地平線と共に左に傾けなくてはならない。そして、分割された月、分割された分身などという仮定は精神界においてのみ通用する絵空事に過ぎず、物質界においては通用しない。
 空の月、人の存在する地球の条理に人為的な工作は絶対不可である。

 故に、《『自然の真理は絶対である』ということの逆説》を描いたのだと思う。動かし難い絶対の条理の中にわたし達は生きているということの証明でもある。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
 


『銀河鉄道の夜』137。

2015-11-12 06:24:59 | 宮沢賢治

「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから。」
 カムパネルラが、さう云ってしまふかしまはないうち、次のりんだうの花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。


☆案(考え)を運(めぐらせる)字は化(形、性質を変えて別のものになる)。
  講(はなし)の果(結末)は幸(幸福)である。


『城』2142。

2015-11-12 06:12:59 | カフカ覚書

それより先へすうむことは、べつに禁じられているわけではありません。しかし、バルナバスがすでに自分の上役たちを見つけ、仕事の話が終わり、もう出ていけと言われたら、それより先へ行くことはできないのです。


☆まったく先へ行くことが禁じられているわけではありません。しかし、それにもかかわらず、すでに自身の決心もつき、出発準備も完了し、こっそり立ち去ろうとしても、さらに先に行くことは出来ないのです。