続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『嵐の装い』

2015-11-15 06:52:33 | 美術ノート

『嵐の装い』ここに装いがあるのだろうか。華美に美しく見せるなどという営為は微塵もない。切り刻まれた薄っぺらな紙状のものが平面に対し直立している、まるで意志があるかのように。

 有り得ない光景である。林立したこれらの白い(ベージュ/無色)得体の知れないものは何なんだろう。一見して擬人化を感じてしまう、もうそれ以外のものではないという確信さえいだく。装うという行為は人間以外の動物にはないからである。
 それらの影は海の側に落ちている、つまり光源は左上方からであるが、荒れる海とは隔絶された世界であることは、手前の地が岸壁でも砂浜でもなく全くの平面であり、両脇は壁状のものに遮られていることで察しが付く。

 白い紙状のものは何故か、嵐の海を見ているように感じる。つまり全員が荒れる海を危惧している光景に見えるのである、こちら(前)を向いているかもしれないのにも関わらず。

 荒れる海の難破船、闇黒の空、状況は最悪である。この状況に背を向けているとは考えられない、それが通常の心理である。彼らは為す術なく隔絶された世界(冥府)から現世の嵐(闘い)を見ている。
 刻まれた紙状のものは、刻まれた傷の記憶ではないか。切り刻まれた傷心の御霊が見つめる嵐(闘い)。

  心も体も傷だらけの霊界の亡霊が現世の嵐(闘いの闇)を見つめている。
 《満身創痍》は誇るべき華美な装いではないか。
 現世での辛苦は、来世では装いと称せられるのかもしれない。

 マグリットの切なるつぶやきが聞こえる。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』140。

2015-11-15 06:46:28 | 宮沢賢治

 ジョバンニは、
(あゝ、さうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちるのやうに見える橙いろの三角標のあたりにいらっしゃっt、いまぼくのことを考へてゐるんだった。)と思ひながら、ぼんやりしてだまってゐました。


☆掩(おおいかくしたもの)が溢れている。
 現れる等(平等)の太陽を書く。
 評(善悪・可否・価値などを公平にさばく)の講(はなし)を試みている。


『城』2145。

2015-11-15 06:26:20 | カフカ覚書

柵は、彼が出入りする部屋のなかにもあるんです。ですから、彼が通りこしていく柵もあるわけです。それらの柵は、彼がまだ越えたことのない柵と外見上ちっとも違わないのです。


☆柵(障害)は秘書局にもあるんです。彼が通行する柵(障害)もあります。それらの柵(障害)はまだ越えることが出来ません。