『心臓への一撃』(写真右)
豊かとはいえない土の上に立つ薔薇、周囲の曇天、混濁の彩色に比してこの薔薇と葉は鮮やかである。その枝から生え出たような鋭利な短剣が描かれている。
鋭利な恐怖心をそそる短剣の突先は『心臓への一撃』を即物的に想起させるものであり、具体性を持っている。
赤く明確に描かれた薔薇からは強い主張が感じられ、雄々しいが孤立した風情は他者を寄せ付けない緊張感に満ちている。
薔薇の持つ棘(短剣)は他者を攻撃するだろうか、自己防衛でもあるし、他者への強く切ない情熱とも思える。
『心臓への一撃』は必ずしも攻撃を意味せず、《愛》を叫んでいるのかもしれない。
(愛するあなたへの一撃)
『心臓への一撃』は、どんな逆境にも打ち勝つ、愛と憎悪を裏腹にもつ鋭利な武器である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
『美しい言葉』(写真左)
薄紫の薔薇、その上に立ち上る幻影のような薔薇がイメージを拡散させており、そしてその上空には三日月がある。辺りは透明なブルーの空と水面。
これを以って『美しい言葉』であると題している。
美しい言葉の正体、バラの根元が描かれていないことから根拠がない、あるいは根拠は隠されている。
薔薇(本体)の上の仮象は掴みどころがなく、捕らえようとすれば消えてしまう幻であり実態がないことから、現実を離れた誇張を暗示している。
その上の三日月は南中の形態であるが、三日月の南中は見えないことから、虚偽であることが分かる。
『美しい言葉』というものは、確たる根拠が希薄であり、話を膨らませた誇張があり、嘘である。
しかし、南中の三日月は在るけれど、太陽の光で見えないという現象を考えれば、あながち虚偽だという断定は難しい。
『美しい言葉』は清明なブルーの中に発せられる罪のない言葉であるが、極めて不確定な範疇の夢幻である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
かほる子はハンケチを顔にあててしまひました。ジョバンニまで何だか鼻が変になりました。
子はシと読んで、詞。
顔はfaceと読んで、faith(信仰)。
何だかはカと読んで、化。
鼻はビと読んで、備。
変はヘンと読んで、遍。
☆詞(言葉)による信仰は、化(形、性質を変えて別のものになる)に備わり、遍(もれなく行きわたっている)。
*顔はガンと読んで、願いでも。
この事件のいちばんけしからん点は、アマーリアが侮辱を受けたということじゃないのですよ。そんな侮辱ぐらい、いくらでも償いがつけられたはずです。ぼくにわからないのは、あんたがこれっぽっちのことをなぜそんなにひどく重視しているかということです。
☆もっとも嫌悪すべきは、アマーリアが侮辱を受けたことじゃない、そんなことは軽く補いがつくことです。わたしが分からないのは、なぜ正しくないことを、過度に重要視するのかということです。