『臨床医』
手足のほかは空洞であり、帽子や着衣が人を模っている男は、右手に杖、左手には革袋(かばん)をもち、土を盛った場所(岩場)に腰かけている。その空洞には鳥かごが位置し、二羽の小鳥が出入り口の内外にそれぞれ止まっている。
けじめも定かでない海と空の背景、腰かけている少し草の生えた場所は土砂か岩場か分からないが不毛(荒地)である。
この男が臨床医なのだろうか、鑑賞者が臨床医としてこの男を診断するということかもしれない。
扉は開いている、中にいる鳥には何かを危惧しているような少しの動きがあるが、外の鳥は安心しきって休んでいる態である。扉は開いているがいつ閉まるともわからない、むしろ閉めていることが常態ともいえる扉の機能。
つまり不安定な状況であり、一見自由に見える空間は拘束の不自由さが明白である。
にもかかわらず、ここを安住の棲家としているように見える景色を有している男(人)。
貧弱とも思える質素なつくりの杖が支えであるが、他方には革袋に収めた財宝があるやもしれない。財宝は杖ほどの支えでしかないという暗示だろうか。
自由に見えるが、噴飯物の自由である。外に飛び出せば危険は免れず、中に入れば即ち拘束である。
自由と不自由の間にある扉は開いているが、閉まる可能性は大きい。しかし、閉まるその瞬間まで気づかない場合が多いのではないか。しかも、腰かけているその場所は決して豊穣の地でない。
《さあ、このわたくしを、あなたはどう診断なさいますか》マグリットの問いである。
(写真は『マグリット』西村書店刊より)
美しい美しい桔梗いろのがらんとした空の下を実に何万といふ小さな鳥どもが幾組も幾組もめいめいせはしくせはしく鳴いて通って行くのでした。
☆備(あらかじめ用意しておく)弥(つくろう・おぎなう)機知(とっさに働く才知・機転)の教えがある。
空(根拠のない)仮の実(中身)は化(形、性質を変えて別のものになる)を番(かわるがわる行う)章(文章)で調(整える)。
記す素は、鬼(死者の魂)が蘇る冥(死者の世界)である。
二つの講(はなし)がある。
わたしはどうかと言いますと、もしああいう手紙をもらったら、そのあとに来る事態がこわくて、とてもそれに耐えられなかったでしょう。アマーリアだけは、それに耐えられたのです。
☆わたしが驚いたのは、先祖のこのような書き物をもらったら、わたしは出かけたと思います。わたしは次に起きる事態が怖くて耐えられなかったと思うからです。でもアマーリアは、それに耐えたのです。