続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

十月一日。

2016-10-01 07:26:01 | 日常

 秋めいてきたなと思ったら、もう十月。

 回る、回る…回れ、回れ・・・くるくる巡りくる秋の気配。

 淋しいか(いいえ、ちっとも!)

 在るように生きていく、当たり前の日常を当たり前に享受できる幸福。

 韓国人の婦人は毎朝、朝日の昇る方角に手を合わせ、夕刻には洛陽の方角に深く頭を下げていた。子供心にも深く心を動かされたのを思い出す。

 自然の恵みに感謝し一日の無事を祈る、そのほかは要らない。多くを望まないが、自己満足を域を厳しく律して生きていきたい。


デュシャン『チョコレート粉砕器』

2016-10-01 06:40:16 | 美術ノート

 『チョコレート粉砕器』

 円柱形の臼が三つ、いかにも作動しそうな雰囲気である。しかし、そのように見えるだけであって、どこからチョコレート(カカオ豆)を入れ、どういう風に流れ出てくるかは不明である。不明どころかプレーンなかたちは容量を納めることができないし、この器械を支えているテーブルの猫足の貧弱さ、不均衡は危機を孕んでいる。
 糸で張った線描というのも怪しい。
 全体は円に見えるように描かれているが、右の臼などは、同じ間隔が並んでいる様子だけを追うと楕円になり、しかも筒状は部分的に傾斜している。

 総てが微妙な差異をもって機能を不可な状態に作り込んでいて、作家の意図を隠す熟考が見える巧妙さである。

 重量感ある臼の回転を予期させる円筒、バックはベタであり、中空に浮いているが、軽重の真偽を問われることなく、存在を誇示している。

 自然な描写に見えるところが、ミソである。
 機能する存在『チョコレート粉砕器』といい、描かれた物自体は崩壊してもおかしくない状態を描きとどめるという精神的亀裂。その中に行き着く空漠。

 空無を凝視するデュシャンの眼差しが見えてくる。


(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)


『城』2440。

2016-10-01 06:10:46 | カフカ覚書

父は、たえず祭典のことばかり話していました。父は、消防団のことでいろいろ計画していることがあったのです。と言いますのは、お城にもお城の消防団がありましてね、祭典にも代表団を派遣していたのですが、この消防団のことがいろいろ議論の的になっていたからです。


☆父は、たえず要塞(大空)のことばかり話していました。父は火のような輝きを制止できないことでいろいろ計画していることがあったのです。お城(本当の死/冥府、あるいは推論)には火のような輝きを制止することがありましてね、要塞(大空)にも巧みさをもって使いを出していたのですが、この火のような輝きを制止することは、いろいろ議論の的になっていたのです。