続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『急速な裸体たちに囲まれた王と女王』

2016-10-04 06:51:25 | 美術ノート

 『急速な裸体たちに囲まれた王と女王』

 急速な裸体たち。急速なというのは進み方や変化が非常に速いことで、そのプロセスがあまりに速くてとらえようがない状況を指すので、裸体自体が急速というのはあり得ない。王と女王の周りを裸体が急速に移動しているイメージがあるが、それも人体の移動する可能な限りの速さを考慮しても急速という表現にまでは至らない。

 だから、(イメージとしての)と言われればそれまでだが、そこに発生する意味はない。
 裸体(所有すべき何も無い)と王と女王(最高位の所有者)の軋轢・闘争・平伏などを予想させる要素も見当たらない。単に囲まれているという状態を題名にしている。

 絵画(作品)は平面であれば静止状態であり、急速なというのは単に言葉で誘導しているに過ぎない。
 作品を観る限り微細な描写がなされているが関係性や機能(動き)を明確にするものもなく、描かれてはいるが存在感が希薄である。
 つまり着地点としての地平もなく、重さを感じるのに浮上しているという具合である。そして立体的に組み合わされてはいるが、遠近法に拠らず、奥行きを感じさせる空間も欠如している。

 デュシャンはこのように考慮し描いたのである。存在感をもって在るように描く努力とは裏腹の努力の結晶である。

 無・解体・崩壊の方向性を凝視し、描写するのは困難だったに違いない。
『急速な裸体たちに囲まれた王と女王』というタイトルも、一つ一つの単語は意味があるのに、複合的に接合することで意味を霧消させている。


(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)


『銀河鉄道の夜』257。

2016-10-04 06:37:19 | 宮沢賢治

「天上へなんか行かなくたっていゝぢゃないか。ぼくたちこゝで天上よりももっといゝとこをこさへなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」


☆転じる章(文章)の講(はなし)である。
 転じると、照(あまねく光が当たる=平等)が目(ねらい)の千(たくさん)の衝(かなめ)を運(めぐらせてある)。


『城』2442。

2016-10-04 06:22:13 | カフカ覚書

そこで、お城の消防団を改組しなくてはならないという話になりました。そのためには、村から指導員を出す必要がありました。その候補者として、二、三の人たちがあがっていましたが、父は、自分が選ばれるだろうという希望をもっていました。


☆お城(冥府)の火のような輝き(太陽)を制止するため新しい組織をつくり、来世(冥府)に指導者として出す必要がありました。そのために先祖が来ましたが、父は自分が選ばれるだろうという希望をもっていました。