『旅行者用折り畳み品』
旅行者用のバックなら分かるが、折り畳み品て何だろう。しかも、タイプライターのカバーであり、べつに折り畳んではない。むしろこの形であり続けることの方が困難であり、自然に形を崩していくに違いないが、これを折り畳むというようには呼ばない。
そしてこのカバーを旅行者が持参するとも考えにくい。
旅行者用折り畳み品というものは存在するかもしれないが、レディメイドのタイプライターのカバーではないと思われる。
タイトルと名付けられた物とは一致を見ない。しかし、あえてそう名付けた理由とは何か。
全く異質のものを、そう名付ける。認識のデーターに外れるものであり、明らかに違うのではないかという疑念あるいは断定のもとに、この作品に対する甚だしい距離が開くのを感じてしまう。手で触ってこの中を確認する術はないが、どう見てもカバーである限り、中は空洞であるほかない。それとも中に折り畳み品と名づくようなものが入っているのだろうか。
命名と命名されたものとの違和感は拭いようもなく鑑賞者を混乱させ、この否定を肯定に至らせることは不可能である。
作品とタイトルを併せ見た時の気持ちの低下・・・。
作品とは一般に精神の高揚を意図し、感動・歓喜・称賛に値するものであるが、この場合、真逆ともいえる作品の提示である。
《反発・落胆~空虚・無空》
鑑賞者は向けることの出来ない苛立ちを覚え、やがてバカバカしさを伴う漠然とした虚脱感に陥ってしまう。
鑑賞者は試されている、この詐欺まがいの仕掛けに納得の増幅はない。
しかし、作家はこのような感覚を目的としたのである。無空、マイナスのスパイラルは新しい。 誰も試みることがなかった領域への挑戦である。このマイナスがあってプラスへと転換していく輪廻を考えていたのではないかと思う。
(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)
あっちにもこっちにも子供が瓜に飛びついたときのやうなよろこびの声や何とも云ひやうない深いつゝましいためいきの音ばかりきこえました。
☆詞(ことば)はっ教(神仏のおしえ)である。
科(過失)の非(あやまち)を、償う果(結末)を運(めぐらせている)。
真(まことのこと)は隠れている。
アマーリアの罰
「さて、わたしどもの手紙の一件で四方八方から質問攻めになったのは、それからすぐのことでした。友人も敵も、知っている人も知らない人も、押しかけてきました。
☆しかしながら、わたしたちの書状類のために四方八方から質問攻めになったのはその後すぐでした。味方も敵も知っている人も他国の人もやってきました。