『折れた腕の前に』
雪かきシャベルが壁に立てかけられている。
折れた腕で、この雪かきシャベルを使用することはできない。折れた腕の前では無用の長物である。
役に立たない無用の長物・・・これは人間主体の感想である。雪かきシャベルの側から見たら、これを使えない無用の腕ということになる。
雪かきシャベルの優位、「わたしを使えないなんて!」という冷笑。人間vs雪かきシャベルに於いて人間の側は敗北している。
思考というのは常に人間優位であり、人間の側からの主張である。思考そのものが人間の証明でもあるから、物は人間の支配下にあるものと考えられている。
しかし、この作品を観ると、雪かきシャベルは折れた腕の前で勝ち誇っている。(どうだ)と言わんばかりでさえある。否、(可哀想に、早く治してわたしを使ってください)とでも言っているだろうか。
雪かきシャベルの有用性は折れた腕の前では無用の長物に転落しているが、対峙する資格を持ち、優位をもって存在している。
支配する側の傲慢はいとも簡単に崩壊を余儀なくされる、物と人間の関係は対等であると提示し得た作品である。
(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)
そして見てゐるとみんなはつゝましく列を組んであの十字架の前の天の川のなぎさにひざまづいてゐました。
☆現れるものを裂(ばらばらにし)蘇(よみがえらせる)。
自由に弐(二つ)の果(結末)に繕(なおし)、展(ひろげて)遷(うつす)。
そのゼーマンが、いま父のまえに立って、消防団が父を免職にし辞令の返却を求めているということを伝えなくてはならないのです。
☆驚いたことには、死期の確信を思いとどまらせてくれたのです。先祖の前に立ち、別れを告げ、証明書の返却を求めているということを伝えなくてはなりません。