続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

肺炎球菌感染予防のワクチン。

2016-10-26 07:45:30 | 日常

 友人が接種を受けた時、痛みが続いたような話をしていたので、ちょっと嫌だったけれど、とにかく一回だけは格安になるというのでクリニックに行ってきた。
 ついでに膝のレントゲンと検診(心電図・血圧・尿検査・血液検査等)を受けたけれど意外に早く済んだので、無料の歯科検診も受けようとしたら「予約になっています」というのでこちらは断念(でも行っといたほうが良かったかなぁ)

 ともあれ、ここ数か月の懸念を払拭。
「わたしはコロリと逝くから、検診はいいの」なんて言ってたけど、予防医学の時代、恥を後代に残しては(大げさ?)と思い切って敢行。

 まぁ、検診を受ける際「朝食を抜かしてきてください」というポイントがどうしてもクリアー出来なかったせいもあって延び延びになっていただけ。

 気をつけることはしっかり気をつけなくては!
 帰り道、近所のNさんにばったり、御年96歳の彼女、おしゃれに決めて背筋もスッキリ。
「しばらくね、近頃はわたしもどこへも出かけないから遊びに来てよ」と言ってくれた。

 ステキに美しい人。
 そうね、やっぱり頑張らなくちゃ!
 彼女の近況は近所のクリニック、内科と整形と皮膚科を順に回ることらしい。それにしてもお元気、羨ましいまでに神々しい。


デュシャン『各階に水とガス』

2016-10-26 06:17:47 | 美術ノート

 『各階に水とガス』
(19世紀末のフランスのアパートに取り付けられていたエナメルの看板の模造)

 各階に水とガス、この看板のどこに惹かれたのだろう。
 水とガス・・・液体と気体、水と火。
 水と火は、生きる上で欠くことの出来ない必要条件であり、それが各階に備わっているという利便性は英知の賜物である。

 生命の連鎖をつないできた水と火、どちらが欠けても死へ直結してしまう。しかし水と火は留まるものではない。その不定形なものを「有ります」とうたっている。

 水は流体であり、ガスは揮発する。各階に水とガスの機能が完備されているということであって、部屋の中に水とガスがあるわけではない。
 看板を読むと各階(各部屋)に水とガスがある(存在)していることになるけれど、誰もそんな風には理解しない。スイッチをひねると水とガスが出る設備がなされていると了解する。

 文字は必ずしも現象を正しく伝えないが、読む者は経験上その不確定な空間を埋めてしまう働きをもっている。
 文字≠現象であるが、文字≒現象を、文字=現象にしてしまう傾向。
 文字という記号への信奉、違和感という溝は、暗黙の了解で消去されてしまう。文字と現象(現実)のあいだにある虚空間は、《有る》が《無い》のである。(無いが、有るとも言える)


(写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク/TASCHENより)


『城』2462。

2016-10-26 05:52:38 | カフカ覚書

わたしたちも、おなじように絶望しておりましたが、なにしろ若かったものですから、一家がこれで完全に破滅したのだとは信じられず、お客がこうしてつぎつぎに訪ねてくるけれど、最後にはだれかがあらわれて、待ったをかけ、すべてのことを逆行させて、またもとどおりにしてくれるだろう、とたえず考えておりました。


☆わたしたちみんなは同じように絶望しておりました。
 わたしたちは、先祖がこのように破滅していくことが信じられませんでした。連なって訪ねてくる客も、最後には誰かが現れて、停止を命じ、死を逆行させ、この激動に打ち克つのだと常に考えておりました。