〔伏見先生の講座〕
ガラガラポンで全く偶然に居合わせているメンバーである。
アイクルでの『吊るし雛』の講座は昨日で三回目。残り二回で予定通りできるのか心配もあるけど、すごく楽しい!
みんな夢中で昼を忘れるほどだけど、「全国的にお昼の時間になりましたから」の講師の一言で渋々昼食の席へ。
今回から参加のAさんは、自宅の庭で栽培したサツマイモを焼いて振舞ってくださった。
「ええ、東南のお隣の空き地が売りに出たもんで買ったんですよ。60坪ほどあるのでそこで野菜を作っています」(高価な焼き芋を噛みしめたわたし)
「投資信託をやって~」と言えば、Bさんも「失っても惜しくない程度の金額でわたしもやっています。まぁ60万とか、20万とか、そんな感じです」(「オホホッ」とは笑いませんでしたけど、みなさん余裕がおありで、すごいです)
何はともあれ楽しい講座、みんな仲良く和気あいあいで夢中。不器用なわたしも夢中!
受講料タダに惹かれてやってきたわたし、(それぞれみなさん優雅なんですねぇ)と呆然。
手のほうは気持ちが軋んで、まだ途中。
『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』
この奇妙なタイトル、ローズ・セラヴィは自身の化身らしい。男女の垣根を解放ということであれば、(余談であるが)独身者たちが男性だと決めるのも早計かもしれない。
男と女、性の課題に触れながら、それを突き放して原初を探ろうとする眼差しを感じる。
「何故くしゃみをしない?」とは意味不明である。くしゃみは自発的にできるものではなく、偶然の発作である。このタイトルは、意味を求めること自体が徒労であり、あえて不明な空気を醸し出すための作為である可能性が高い。
この不思議なタイトルの下に差し出された《鳥かごの中の152個の角砂糖型大理石》は、タイトルに相応しない。
しかし、152個の角砂糖型の大理石は《大量生産》を思わせる、大量生産の増殖である。同質同型の物が溢れんばかりに増殖していく恐怖、容器(社会)の中に納まりきれずに増えていく予兆は静かに進行していく。
この状況に差し込まれた温度計、そして《死》の象徴であるかのイカの甲。
ある意味、警告であり布告である。
『ローズ・セラヴィよ、なぜ驚かない、この条理を逸した状況に』
デュシャンは深い!
(写真は『デュシャン』新潮美術文庫より)
ジョバンニはあゝと深く息しました。
「カンパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行く。僕はもうあのさそりのやうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
☆真(まこと)を測(予想する)。
目(ねらい)には、普く図りごとが逸(かくれている)。
諸(もろもろ)の講(はなし)には、目(ねらい)を交えている。
目(ねらい)は、飛躍の釈にある。
〈団長さん、団長さん、もうイカ減にして、この人たちに説明してあげてください〉と念じながら、ゼーマンのそばにつめ寄りました。ところが、ゼーマンは、妙なことにくるりとからだを回転させただけでした。
☆〈あたかも、人の大群〉と彼女は言った。それにもかかわらず決定的に喜んだのは、わたしたちへの圧迫がこちらに近づいてきたのですが、奇妙なことに、くるりと回転するきっかけになったことでした。