『天才の顔』
石膏の白い顔面が細長い板の上に乗っている。板は任意の位置(あるいは規則的)に刻みが入っているが、これは時間なのだろうか。
この板は着地しておらず、浮いているらしい。下は漂流の暗い闇模様である。
この板から黒い枝葉を持つ木が生えており、幹は黒いピルボケである。
白い顔面は、右目と左頬の辺りが欠損しており、左目は閉じている。
マタイによる福音書には「右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」とか「片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい」とある。
だから、『天才の顔』とは《神》であるのかという考えが過る。
しかし、『天才』という《Genius》は《精神》という意味に解釈できる。『精神の顔』ということではないか。
その見地から推しはかると、白い顔は生気を失った思い込みのみの破損を余儀なくされた瞑想にふける顔であり、板状のものは儚く危うい人生、黒いピルボケは亡き人たちの幻影、浮遊の世界には安定という安心が欠如しているという風に解釈できる。
わたくし(マグリット)の心の闇、精神の内実はこのようなものであるという告白である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)
「あ済みませんでした。」その人はすぐ奥へ行って一本の牛乳瓶をもって来てジョバンニに渡しながら云ひました。
☆裁くことの腎(かなめ)を追う考えが逸(隠れている)新しい便(手段)である記の図りごとを運(めぐらせている)。
その人は、昼となく夜となくお城のことばかり思いつめていて、ほかのことはいっさいおかまいなしでした。こころがすっかりお城のほうに行ってしまっていたものですから、頭がおかしいんじゃないかと、みなが心配したほどです。
☆その人はいつも推論(死)を考えていました。死のほかはなおざりにしているのを心配したほどです。