『嵐の装い』
ここはどういう処なのだろう、左右には壁らしき遮蔽がある。
相当に高い天井なのか天井などないのかは分からない空間であり、床面は赤茶色でフラットある。
室内とも屋外とも不明なこの空間は海に続いているように見えるが、よく見ると、直線で区切られている。あたかも続いているように見える海は嵐の様相を呈し、至近には難破船が漂流している。
切り込みを入れられた薄い人型状のものは、床面に対し起立している。影が海側にあるということはこちら(手前)に光源があるということであるが、嵐の海に比し風を感じない。
つまりは、時空が二つあるということであり、こちら(冥府)とあちら(現世)の相違であると解釈できる。
幾つかの人型は嵐の海を危惧しているように見えるが、あちら(現世)の海(難破船)からこちら(冥府)にやってきた死者の霊かもしれない。
人型のものは、人らしく想像できる形をした《精神》であり《人魂》である。
『嵐の装い』とは、現世の嵐を潜り抜けてきた着衣という意味であり、質素(素朴)と思えるこの形を、装いと称しているのは《死者に対する敬意》ではないか。華美なまでに美しいと、その精神を崇めているのだと思う。
(写真は新国立美術館『マグリット』展・図録より)
ちなみに『喜劇の精神』でも同様の人型であるが、この場合は死者ではなく《わが身を殺して笑いを取る》その精神ということだと思う。それほどに凄まじいものが喜劇の精神であると・・・。
ジョバンニはまるで夢中で橋の方へ走りました。
☆謀(はかりごと)を注(書き記す)。
教(神仏のおしえ)、法(仏の教え)が総てである。
あの子の言うことを正確に理解するのは、容易ではありませんわ。本気で言っているのか、皮肉なのか、わからないことがよくあるんですもの。たいていは本気なんですが、皮肉に聞こえるんです」
☆それを正確に理解するのは容易ではありません。深刻に言っているのか、反語的に言っているのか、しばしば見えてこないんです。たいていは深刻なんですが、反語的に聞こえるんです。