『オーステルリッツの喧嘩』
ミニチュアの窓は『オーステルリッツの喧嘩』とのタイトルを読めば、なぜか墓標のように見えてくるが、どこにも共通点を見いだせない。
窓という空間の仕切り・隔たりは防衛になるかもしれないが、きわめて軟弱にすぎる。喧嘩をすれば破損は免れない代物であるガラス窓。その窓ガラスに(ここにガラスがあります)という注意のために付けた職人のしるし(ペンキの跡)が付けられたままになっている。
何気ない《しるし/ペンキの跡》ではあるけれど、付けなければ透明ガラスは《在るが無い》状況を作りだし、破損の危機を受け入れる可能性がある。
オーステルリッツという名から想起される戦争。しかし、あれは喧嘩に過ぎなかったのではないか。歴史は過去であり、現時点では見ることは叶わない。《確かに在ったと記録されるのみである》
確かにここにガラスが在ることの証としての《ペンキの跡》は、確かに『オーステルリッツの戦い』があったのだと聞かされている歴史の記録に等しい。
戦い(数多の戦死者を出した戦争)も、目撃していなければ、単なる喧嘩である。戦いそのものは歴史の中で霧消し見ることはできないのだから。
『オーステルリッツの喧嘩』はオーステルリッツという固有名詞が見えない結びつきを辛うじて引き寄せ、《在るが無く、無いが有る》という関係性をを浮上させている。
(写真は『DUCHAMP』TASCHENより)
しかし、さつき一ぺん紙くずのやうになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはひつても、もうもとのとほりになほりませんでした。
☆逸(隠れた)詞(言葉)には普く信仰があり、套(被った)教えの記は等(平等)である。
それまですっかり考えこんでオルガの話に耳をかたむけていたKは、ここで相手をさえぎって、「で、あんたはお父さんの考えを正しいとはおもっていないでしょう」と、たずねた。話の先を聞いたら、自ずからその返答をあたえられるにちがいないのdが、いますぐ答えを訊きたかったのである。
☆今まで完全に没頭し聞き入っていたオルガの話を中断し、「で、お父さんの話を正しいとは思っていないでしょう」とたずねた。もっと先の話を聞いたら、答えを示すに違いないのであるが、すぐに知りたいと望んだのである。