続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『心のまなざし』

2017-09-03 06:44:10 | 美術ノート

 『心のまなざし』

 視線は地平にあり、その手前に大きく純白な球体(真理)が鎮座している。
 そのずっと手前に不自然に高く積み上げられた建屋が天空に向かい延び、背後の雲は赤みを帯びて拡がり所々に青空がのぞき見えるという光景である。

 不自然な構造を持った構築は、『心のまなざし』の世界には重力という現実の掟が不在であり、自由な開放の展開が繰り広げられているという想定に起因している。

 低い視点(現実)から大いなる高みを見上げているのは、幻想もしくは仮想であり、常に現実との接点を内在させている。
 小さなドア(出入り口)に比して大きな窓が数多ある複眼は、外部(世界)への好奇心に満ちているようであるが、開いた窓はなく一様に閉ざしている。見ているが、自分の内面は隠蔽している。
 赤い屋根の上には煙突めいたものがあり、赤い炎らしき気炎が上がっている。石造り(耐火性)の建屋から上がる気炎は、内に秘めた熱い主張であると思う。

 全体不穏な空気感に満ちているが、窓の形が並べて同じであるのは、均衡のとれた眼差しを意味し、偏見のない精神の表明ではないか。

『心のまなざし』、見ているが、見られてもいるという関係が震撼として伝わってくるのは、倒壊を免れない構築物の危うさにも因しているが、これはマグリット自身の精神の極みを具現化している緊張感があるからである。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『山男の四月』49。

2017-09-03 06:34:26 | 宮沢賢治

「それ、あまり同情ない。わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する、それ、あまり同情ない。」


☆導くのは常に照(あまねく光が当たる=平等)であり、その媒(なかだち)をする。
 往(人が死ぬ)と、照(あまねく光が当たる=平等)に導かれるのが常である。


『城』2741。

2017-09-03 06:22:20 | カフカ覚書

あの子の顔をつくづくながめ、ほんの二年まえの、少年だったころの顔とくらべますと、しばしばとても悲しい気持ちになります。そのくせ、わたしは、大人になったあの子ならあたえてくれることのできる慰めやこころのささえをちっともあたえてもらえないのです。


☆彼を注視し、抑圧された年月の昔と比較すると、しばしばとても悲しくなります。人として与えられるはずの安らぎと支えを十分与えてもらえないのです。