『生命線』
上半身はブルー、下半身は肉体の自然色の成熟した女人の裸体像。
岩の上に手を付いてるが、床な人為的な板張りである。
海と室内を隔てる黒く見える硬質の壁、そこにはライフルが立て掛けられている。
空は澄み切ったブルー。
これらの条件をもって『生命線』と題している。
女に恥じらう風な様子はなく、ただどこか(外界/現実)を見つめている。衒いや虚飾を脱ぎ去り、ありのままの自分に確固たる信念を抱いているように見えるが、岩に手を当て身体を支えている。
わたしのほかに神があるか。わたしのほかに岩はない(聖書『イザヤ書』より)
宗教を心の支えにしている、ということかもしれない。
身体の半分は天空と同じ色(超自然/非現実)、半分は現実の生々しいわたしであり、それを区分するのは水平線(真実)である。
すでに実世界を離れているが、下半身の母胎は離れがたく余韻を残している。
女は室内(世界)に閉ざされているが、外部(世界)に開かれてもいる。
ライフルは攻撃・殺傷を意味し、常に傍らに置いてある。死は至近に在り、覚悟をもって生きている。(あるいは死んでいる)
彼女の眼差しの先は、命との闘いであり『生命線』という決死の不可視の領域である。(亡母へのオマージュをこめた肖像画かもしれない)
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
「そいつはかあいさうだ。陳はわるいやつだ。なんとかおれたちは、もいちどもとの形にならないだらうか。」
「それはできる。おまへはまだ、骨まで六神丸になつてゐないから、丸薬さえのめばもとへ戻る。おまへのすぐ横にその黒い丸薬の瓶がある。」
☆珍しい啓(人の眼を開いて理解させる/教え導くこと)を乞う謀(計画)を含む願いの訳(ある言語をほかの言語に言い換える)である。
霊(死者の魂)の往(その後)を告げる。
願いは、訳(ある言語をほかの言語に言い換える)の使(手段)である。
ふだんより早く家に帰ってきて、アマーリアが部屋にいるのを見ると、わたしを外へ引っぱっていき、路上で顔をわたしの肩に押しあてて、何分間か泣いていました。
☆より早い時間に一族の小舟を迎え、アマーリアが無言でいるのを見ると、わたしを引き寄せ街上へ出て来世で苦しめられている幻影を見せ、罪過に数分間も泣いていました。