正体不明の人物の頭髪がないのに比し、劇場を見ているであろう少女の髪は長い、長すぎる。少女の年齢から推して、生まれてからずっと伸ばしていたと思われる長さである。
髪の長さは《時間》である。
正体不明の人物がコートを着用しているのに比し、少女の服装は袖なし(夏物)である。
着衣は《季節》を表す。
明らかに両者に差異がある。劇場を見ている少女は背後の人物に気づいていないかもしれないが、背後に位置する人物はこちらを二人の目で見ている。警戒し守っているようでもある。
少女は床面に立っているが、人物は椅子に腰かけている。そしてその手足は極端に貧弱であり、立って身体を支えられるようには思えないし、椅子に触れてはいるが座るというより浮いている。つまりこの人物には存在感は著しくかけている。奇体な様は実在を疑うしかない。
仮定、推測に過ぎないが、《幼くして死んでしまった女の子は劇場(現世)を天国の桟敷席から見ている。その背後には父母(両親)が霊体となって見守っている》そういう物語が隠れている、そんな気がする。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
(金皮のまゝたべたのです)
(そいつはおきのどくでした
はやく王水をのませたらよかつたでせう)
(王水をわつてですか
ふんふん なるほど
(いや王水はいけません
やつぱりいけません
死ぬよりしかたなかつたでせう
うんめいですな
せつりですな
☆混(まじっていること)は秘(人に見せないように隠す)
往(人が死ぬこと)を推しはかる試みである。
どのことを問いただすと、それについてはむしろエルランガーに感謝しなくてはならない、という返事だった。そもそもあの人が村にやって来ようという気になるのは、あの人の好意であり、自分の職務を大切に考えているためなんです。
☆彼が死について尋ねると、それに関してはむしろエルランガーに感謝すべきだという。要するに村(本当の死の近く)にやってきたのは自分自身の決意と高い見解や使命のためなんです。