この清明な空気と思われる見えない層は、オサガメが浮遊しているということから《水中》であると推測される。
なぜ空気ではなく水なのだろう。しかし、ことさら水であるという条件(理由)はなく、《空気=水》であり、質の変換というより《質の解放》であり、しいては観念の解放、自由な想念を予め基本としている。
床面は厚みのある板状の層が重ねられているが、これは、地殻の変遷(膨大な時間)を経た時空、過去であり未来であるかもしれない想念の中の時間である。時間の観念さえ失われた超時間…。
凶器のような外殻(頭部は男根のようでもある)をもつオサガメは、あたかも拒否するようなポーズの無防備な裸体を通過していく。静かなる眠りの時間・・・。
このような状の可能性はきわめて低い。絶対に有り得ない状況を敢えて描き出した冒険、裸体から想像される衣服ではなく、精神の衣服であり、《精神の冒険》である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
(いやあ 奇遇ですな)
(おお 赤鼻紳士
たうとう犬がおつかまりでしたな)
(ありがたう しかるに
あなたは一体どうなすつたのです
(上着をなくして大へん寒いのです)
(どれですか)
(あなたが着ておいでにんるその上着)
(なるほど ははあ
真空のちよつとした奇術ですな)
☆祈りの宮(神を祀る場所)の釈(意味を解き明かす)。
美しい真の詞(言葉)を兼ねている。
逸(隠れた)他意は照(あまねく光が当たる=平等)を惹きつける。
他意を観(よく見ると)、章(文章)の記には、惹きつける照(あまねく光が当たる=平等)の記がある。
新しい句(言葉)の記で述べる。
この途中までしかない壁の欠点は、廊下が、したがってまた部屋のなかもやかましいという点にあった。
☆死の厚い層が総てではないという不利益は、多くの部屋においても同じことが言えた。