裸体(裸婦)は両手を天に向けている。これは自分を引き上げ、何かを呼ぶ、期待する、行動を起こそうとするポーズである。瞑った目から、瞑想・夢想を思わせるが、つまりは《意識下/潜在意識》にある本能/期待/希望の証かもしれない。
オサガメが通過していくが、拒否という荒々しさではない。オサガメは裸体に抵触しているが襲うという狂暴さは見えない。ただその外殻が鋭利な印象で、柔らかい肉体を傷つけるのではないかという危惧は否定できない。
オサガメは空中を浮遊しているのだろうか、とすればその重さは落下を予期させる。
多くの混迷がこの場面にはある、換言すれば、全てが条理を外している。
そして『冒険の衣服』なる着衣はどこにあるのだろう。人間以外の動物に着衣の意志は存在しない。しかしこの裸体に着衣はなく、着衣の意味が霧消してしまう。
ありのままの精神(実は学習された観念の衣服)を脱ぎ捨て、新しい夢想の精神界を構築する《冒険》、『冒険の衣服』の所以ではないか。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
(えゝ さうですとも
ところがどうもをかしい
それはわたしの金鎖ですがね)
(えゝどうせその泥炭の保安掛りの作用です)
(ははあ 泥炭のっちよつとした奇術ですな)
(さうですとも
犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか)
(なあにいつものことです)
(大きなもんですな)
(これは北極犬です)
(馬の代りには使へないんですか)
(使へますとも どうです
お召しなさいませんか)
(どうもありがたう
そんなら拝借しますかな)
(さあどうぞ)
☆魂(精神)を査(明らかにすること)に泥(こだわる)譚(話)である。
補(おぎなう)案(予想/考え)は化(形、性質を変えて別のものになる)で、査(明らかにする)、それが要(かなめ)である。
泥(こだわる)譚(話)は、鬼(死者)を述べている。
兼ねた大(テーマ)は、常に普く他意であり、僕(わたくし)の曲げた見(考え)の魔(人を惑わす)他意である。
詞(言葉)の死には、照(あまねく光が当たる=平等)を配し、釈(説明している)。
ふさがっている部屋が多いようで、たいていの部屋は、まだ起きていて、話し声やとんかちを使う音やコップのふれる音が聞えた。しかし、愉快にさわいでいるという印象ではなかった。
☆たいてい(死)の部屋には人々で占領されているようだった。たいていは、目を覚ましていてハンマーを打つ音やガラスの鳴り響く音が聞えていたが、楽しいという印象ではなかった。