十字に仕切られた四角い箱状のものの枠は、真正面からの視覚であるが、内部の空間は右斜め上からの視線である。
しかも内部の空間の見え方が微妙に歪んでいる、奥行きが上より下の方が深く見えるし左右にも差異がある。縦線・横線の一方は一致しているが他方に違和感があるという具合で、あたかも自然に見えるように描いているが、不自然な(意図ある)空間なのである。巧妙な仕掛けのある人為的な空間と言える。
果実は新鮮だろうか、少々崩れかけているようにも見える。即ち時間の経過による疲弊…。
切り取られた片手は生々しいが流れるはずの血がない。つまり血が通っていない手ということである。
石(岩石/鉱物)は単に石であり、他の何物でもない。普遍に近いが倒壊あるいは破損がないとは言えない。
要するに物自体であるより他ない物であり、本来、意味を見出すことが困難な物であるが、ある種の観念めいた思考を浮上させる連鎖を見出す時代があったのだという博物誌的な見地である。
右下の紙状のものは明らかに二度折り畳んでからの刻みがある。広げれば見えない(十字)がそこに浮上する、十字を隠しているとも還元できる図である。
これらを総合した思考が時代を制した博物誌が、巨大な宇宙時間のなかで『一夜(ごく短い)の博物館(時代の証明)』として公開されている。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
『小岩井農場』
小はショウと読んで、照。
岩はガンと読んで、願。
井はイと読んで、意。
農はノウと読んで、悩。
場はジョウと読んで、常。
☆照(あまねく光が当たる=平等)を願う意(気持ち)を悩(思いなやむ)のは、常(いつまでも変わらない)。
村でなさるお仕事は、いはば自発的なさーヴぃすですからね」
「こうなると、おしまいまで眠らせておいた方がいいんだがな」と、ゲルステッカーが言った。
☆ここでの仕事(現場不在証明)は、自由意思ですからね。「終わり(死ぬ)まで愛するのです」と、ゲルステッカーが言った。