続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『喜劇の精神』③

2018-04-26 06:44:40 | 美術ノート

 喜劇の精神は人のみに宿る感情である。
 この人型(擬人化された紙片のようなもの)のいる状況に『喜劇の精神』があるという。見えない精神を具象化し垣間見せた作品を前に考え込んでしまう。
 喜劇とは何だったかと…。

 立ち姿というより、何気ないが踏ん張っているポーズである。下り坂であるにもかかわらず、上半身は直立している。大変さを見せない、水面下で足を忙しく掻く水鳥のような平静さである。
 足は下方に向かっているのに顔は上方に向き、行動と思考が相反している。すなわち《葛藤》があり、常に上昇志向に身を挺している。
 何かを求めるための眼差しがそこに潜んでいる、隠しているが秘めているという風である。

 薄っぺらな身体、坂は身体的な年齢、死へと向かう道筋かもしれない。しかし思考ばかりはそれに逆らっている。
 儚い抵抗・・・滑稽に映る現象。すべては幻であるという前提に立てば、喜劇であるほかないではないか。わたくしの告白であり、自画像である。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『小岩井農場』⑤

2018-04-26 06:35:37 | 宮沢賢治

  光沢消しだ
  馬も上等のハツクニー
  このひとはかすかにうなづき
  それからじぶんといふ小さな荷物を
  載つけるといふ気軽なふうで
  馬車にのぼつてこしかける
   (わづかの光の交錯だ)


☆恒(常)に択(良し悪しを見てより出す)章(文章)である。
 場(場所・空間)は常に悼(死を悲しむ)章(文章)である。
 化(教え導く)仏は済(救い)が基である。
 経(常に変わらない)魔の赦(罪や過ちを許す)講(話)である。
 考(思いめぐらす)策(図りごと)である。


『城』2932。

2018-04-26 06:19:10 | カフカ覚書

 Kが当てもなくあたりを見まわしていると、遠くの廊下のまがり角のところにフリーダの姿が見えた。フリーダは、Kだということがわからないような様子をして、じっとこちらを見つめているだけだった。


☆Kが何気なくあちらを見ているとフリーダ(平和)がはるか遠くに見えた。フリーダは彼に気づかないようだった。