猛暑の昼下がり、地下鉄戸塚駅まで出かけた。
博物館講座《民俗》では神社などのエベントを訪ね歩く。
信仰の対象、心の拠り所、集落の絆、祭りの高揚・・・。毎年、7月14日と決まっているとのこと。お札を頂くのに階段下の道沿いにまでの長蛇の列だった。
着物に水色のタスキ掛け、踊り手たちは総て男の女装。楽しくユーモアあふれた儀式に心癒されたことでした。
『恋人たちの散歩道』
道を描く場合ずっと続いている感じ・・・画面のどこかに消失点を置くのが通常ではないか。
この画に於いて向かうべき前方は、集合住宅の上部(あるいは家々の上方)で塞がれており空は漆黒の闇である。
高い空は暗黒で光も見えず、町の家々はカーテンで閉じられ閉鎖的であり、まるで活気がない。深夜の眠りだろうか…。
星も月明りもない、道標のない空間。しかし、真正面に二つのフレームがあり、その中には明るい青空と白い雲(自然)が描かれている。見上げている位置ではなく真正面であるというのは、恋人たちが巨人であるか空中を浮遊している、ということである。
二つのフレームには大きさに差異があるのは男女の示唆かもしれない。共に理想としての(あるがままの自然)を抱ている。
立派に構築された環境、しかし閉塞の翳りはないだろうか・・・。
この社会を超えていく、乗り越えていくための示唆/暗示・・・前に立ちはだかる障壁を超えて行け!飛躍/飛翔せよ!
抗議なき沈黙、一見平和に見える社会に《若き恋人たちよ、風穴を開けよ、明るい未来を描け》とマグリットは声援を送っている。
静かな沈思の声援である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
いま見はらかす耕地のはづれ
向ふの草原の高みに四五本乱れて
なんといふ気まぐれなさくらだらう
☆幻の講(話)を字で構(組み立てる)章(文章)である。
総ての講(話)は詞(言葉)を互に翻(作り変え)覧(広く見渡す)記である。
「じゃ、椅子をもってきてあげますわ」フリーダは、そう言うなり、歩きだしていた。
「いや、けっこうだよ」と、kは引きとめた。「下へも行かないし、もう椅子も要らないよ」
フリーダはKのこういう手管をじっと耐えしのび、頭を垂れて、唇をかんだ。
☆「じゃ、わたしは霊魂をつれてくるわ」フリーダはいうなり、すでに手段を取り始めた。Kは彼女を引きとめた。「下の方へも行かないし、先祖の霊魂にも会わないわ」フリーダはむきになり、彼に深い理解を示した。
手を伸ばし、烈しく争う気を見せたのである。