続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

休みが続くと…。

2019-02-12 07:44:34 | 今日の一枚。

 三連休、この年になると休みは無関係だと思っていたけれど、ブログを休みにしたら大好きな縫物が出来、日がな一日中チクチク・・・。
 手提げバックは枕カバー(199円)を解いて縫ったもの。小さい肩掛けはアップリケ、他にも小さな物入れも・・・。(裏地・ファスナー付き)

 バカだなぁ、と思いつつ同じようなものを作っている(バカだなぁ)。


🈞マグリット『ガラスの鍵』

2019-02-12 07:00:50 | 美術ノート

   『ガラスの鍵』

 高山の稜線に置かれた石、登頂が困難であり、人が近づくことを拒否するかの高所。 
 天に近い場所(領域)、その稜線(尾根)に乗った巨大な石の存在を問う作品である。

 自然の法則に従えば当然落ちるしかない状態を、あたかも普遍のように描いている。もしこの存在が実在であれば奇跡としか言いようがないが、物理的にありえないことも心象世界ではあり得る光景となり、その接点を結ぶのは《信仰》という強い信念に他ならない。

 要するに、この石の存在を動かし難くできるのは強い信念であり、精神と石との関係性にある。
 精神と石(崇め奉るものの象徴)、精神と神と置換してもいいかも知れない関係性。この崩壊は雨風嵐といった自然現象によるものでなく、一個人の精神の歪みによってのみ生じるもので、《地球の上のわたし、わたしの中の地球》という一存在の奇跡の中にのみ生じる調和ある信仰によって成立する光景である。

 岩石が山上に上りつめる奇跡は、一人生にも等しい驚異であり、すべての誕生に等しく見出される重要な価値ある神々しさである。

 マグリットの発見である。この結論こそが『ガラスの鍵』を持ってしか開けられない、要するに決して開けることの出来ない世界観(幸福論)なのだと心服している。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『オツベルと象』㊽

2019-02-12 06:41:35 | 宮沢賢治

「ああ、吹いてやらう。本気でやつたら、ぼく、もう、息で、石もなげとばせりょ」
 オツベルはまたどきつとしたあ、気を落ち付けてわらつてゐた。


☆推しはかり翻(形を変えてうつす/つくりかえる)記である。
 即ち析(分けることで事柄を明らかにすること)が基(土台)であり、絡(筋道)は二つある。


『城』3124。

2019-02-12 06:31:32 | カフカ覚書

あなたは、こんな侮辱を受けても平気なのですか」
「それは悩んでいますよ」と、Kは言って、ひとりで苦笑した。というのは、いまにかぎって、それをちっとも苦にしていなかったからである。


☆「侮辱されることに我慢し散ます」と、Kはゆっくり言った。これに対する復讐を、というのは今まさにそのことを大変重く堪え忍んでいたからである。