続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『記念日』

2019-02-28 07:01:31 | 美術ノート

   『記念日』

 記念日、言わずもがな「わたくしの生まれた日」である。
 わたくし(マグリット)が(わたくし自身)を確信した誕生日であり、記念日である。

 室内を大きく占拠した石、室内は人為的な設えであり、教育された思考/積み重ねた情報の集積、すなわち観念である。わたくしはその中にぴったり等しく収まっている。
 
 収まっているが、違和感がある。

 この状況は、果たして真実なのだろうか。肯定に対する反旗、疑惑の芽生え。
 この何とも息苦しい身動きできない空気に気づいてしまった。しかしよく見ると、わたしの前方は大きく開いている。開放・自由の時空にはカーテンのかかった窓もない。

 つまり何もない未来、自由な解放があるということである。
 その喜びに気づいた(わたくし自身の新しい誕生)の記念日である。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『城』3136。

2019-02-28 06:40:37 | カフカ覚書

しかし、なぜそれが不満なのでしょうか。あまりにもきつい仕事だからでしょうか。夜の時間は、むしろ眠るために使いたいからでしょうか。ちがいます。秘書たちは、たしかにそういう苦情をこぼしていません。


☆何故、嘆くのでしょうか。緊張からですか。永眠に転ずるのことが、好ましい死だからでしょうか。違います、不平を言っているのではないのです。