『記念日』
記念日、言わずもがな「わたくしの生まれた日」である。
わたくし(マグリット)が(わたくし自身)を確信した誕生日であり、記念日である。
室内を大きく占拠した石、室内は人為的な設えであり、教育された思考/積み重ねた情報の集積、すなわち観念である。わたくしはその中にぴったり等しく収まっている。
収まっているが、違和感がある。
この状況は、果たして真実なのだろうか。肯定に対する反旗、疑惑の芽生え。
この何とも息苦しい身動きできない空気に気づいてしまった。しかしよく見ると、わたしの前方は大きく開いている。開放・自由の時空にはカーテンのかかった窓もない。
つまり何もない未来、自由な解放があるということである。
その喜びに気づいた(わたくし自身の新しい誕生)の記念日である。
(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)
象は早速手紙を書いた。
「ぼくはずゐぶん眼にあつてゐる。みんなで出て来て助けてくれ。」
☆章(文章)は双(二つ)である。
即ち趣(ねらい)の詞(言葉)が諸(もろもろ)現れ、推しはかることに頼み、叙べている。
しかし、なぜそれが不満なのでしょうか。あまりにもきつい仕事だからでしょうか。夜の時間は、むしろ眠るために使いたいからでしょうか。ちがいます。秘書たちは、たしかにそういう苦情をこぼしていません。
☆何故、嘆くのでしょうか。緊張からですか。永眠に転ずるのことが、好ましい死だからでしょうか。違います、不平を言っているのではないのです。