続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『記念日』②

2019-03-01 07:14:11 | 美術ノート

 岩はわたくし(マグリット)であるのか、【主なる神はとこしえの岩である】(イザヤ書/第26章より)という岩なのか・・・ひとりひとりに神は宿るという意味なのだろうか。
 この画の中の真実は窓外に見える水平線であり、視点は岩に対峙しているという構図である。従って、鑑賞者は岩と真正面から向きわねばならず、岩の中に入るほどに眼前は岩そのものである。

 岩はわたくし、すべてのわたくしであるに違いない。

 わたくし達は人為的構築物の中にいる、身動きできないほどに社会の制圧や約束の中で生きている。集積された知識・情報から逃れることは不可能とさえ思える。この束縛・重圧…。
 光は窓から射しているので、部屋は密室に見えるが、前面(未来)は解放されている。

 この解放に気づくこと・・・すなわち解放『記念日』である。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『オツベルと象』61

2019-03-01 06:44:18 | 宮沢賢治

 童子はすぐに手紙をもつて、林の方へあるいて行つた。
 赤衣の童子が、さうして山に着いたのは、ちやうどひるめしごろだつた。


☆道(方法)の詞(言葉)は趣(ねらい)の詞(言葉)であり、倫(人の行うべき道)である法(神仏の教え)の講(話)である。
 釈(意味を明らかにする)意(考え)の道(方法)は、算(見当をつけ)惹(ひきつけること)である。


『城』3137。

2019-03-01 06:35:13 | カフカ覚書

もちろん、秘書のなかには、熱心な人もおれば、あまり熱心でない人もいます。どこの土地だっておなじことです。が、仕事がきつすぎるといって苦情を言う秘書はひとりもいません。

☆もちろん、秘書の中には勤勉な人もそうでない人もいます。どこだぅて同じです。大きな緊張に嘆きを抱かない人は一人もいません。が、全然解放されていないというわけではありません。