車は走っているだろうか、走っていないかもしれない。この場合、馬が車の上を疾駆しているということが重要である。なぜなら、そのこと自体あり得ない現象だからである。
確かに人は進歩し、馬の疾駆を追い越せる利器を得る時代になった。車の方が早さも持続力においても馬より優位にあるし、頼る人力も不要である。
その馬が騎手の鞭一つで車の上に浮上し、乗っているのか跳び越そうとしているのかは不明であるが、車の上(優位)にいるという図である。
車の優位は判然としているが、馬がその高さを障害物(車)をものともせず飛んでいることが問題なのである。あり得ない・・・。(義経の八艘飛びや馬で崖を駆け下りたなどは話の誇張である)
わたし達はあらゆる空想を巡らせ夢想する。ごく自然であり、物語は奇想に満ちている。
しかし、わたし(マグリット)は考える。
神への畏怖はどこへ行ったろう。
不条理を条理とするのは、人智を超えてあるべき神の尊厳への冒涜ではないか。
神聖なはずの神々もアーテストたちの奔放な言動に眉を潜めてはいまいか、否、怒っているに違いない。(マグリットの苦笑いである)
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
ところがどうして、百姓どもは気が気ぢやない。こんな主人に巻き添ひなんぞ食ひたくないから、みんなタオルはんけちや、よごれたやうな白いやうなものを、ぐるぐる腕に巻きつける。降参をするしるしなのだ。
☆飛躍した章(文章)は祈(神仏にいのる)記であり、趣(狙い)の図りごとを勘(考えること)である。
転(ひっくり返る)自記を迫(追い詰める)。
一つを貫く講(話)を散(バラバラにする/自由気ままにする)。
こういう事情ですから、秘書たちの不平も、しごく当然だといえないでしょうか」
Kは、さっきからすこしうとうと眠りかけていたのだが、いままた目をさまされてしまった。
☆こういう状況ですから、秘書たちの不平も全く権利がないものでしょうか」と、Kは思ったが、先祖の氏族は少しの間しか眠られず、再び目を覚ましていた。