続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『再開』

2019-04-03 06:56:23 | 美術ノート

   『再開』

 植木鉢に植えられていた草花がシルエットになり切り抜かれており、その開いた空間に中央に一本の樹のある野原が見える。
 植木鉢は高台が付いており、その下には台座もあるという念の入用。不要なものを敢えて付けている。敬っているとも言える。
 この光景に敬意を払うとは・・・園の中央に植えられた命の木ではないか。
 生命の根源としての木、一つの寓話である。

 傍らには三個の卵の入った鳥の巣が置かれている。卵が先か鳥が先かの課題を抱える卵は生命の循環を表している。繰り返される誕生、復元、再起・・・。

 植物もしくは動物の生命連鎖、時間は果てしなく続いていく。過去と現在はあたかも瞬間移動としか思えないほどの明滅である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)


『オツベルと象』82

2019-04-03 06:43:50 | 宮沢賢治

百姓どもは眼もくらみ、そこらをうろうろするだけだ。そのうち外の象どもは、仲間のからだを台にして、いよいよ塀を越しかかる。だんだんにゆうと顔を出す。


☆飛躍した章(文章)の源は我意である。
 照(あまねく光が当たる=平等)を注(書き記すこと)を兼ねた題(テーマ)を併(合わせている)。
 閲(調べて)信仰を推しはかる。


『城』3158。

2019-04-03 06:34:08 | カフカ覚書

ところが、こうしていったん必要だということになると、わたしに言わせると、これもまた、すくなくとも間接的に法規の結果だということでして、夜間尋問をとやかく言うのはーもちろん、わたしは、すこし誇張していますが、だから誇張としてなら、こう言ってもいいかとおもいます。-それは、ほとんど法規そのものに文句をつけることになってしまうのです。


☆ところが必要になるとーわたしに言わせるとこれもまた少なくとも指令による間接的な結果だというわけで、死の審問に文句をつけるのは、あえて誇張するなら、規則に文句をつけるということなのです。