続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『大家族』

2019-04-11 07:03:50 | 美術ノート

   『大家族』

 ノアの箱舟における《はと》である。
 
第八章 彼の所から、はとを放ったが、はとは足の裏をとどめる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これを捕え、箱舟の中の彼のもとに引き入れた。それから七日待って再びはとを箱舟から放った。はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。見ると、そのくちばしには、オリブの若葉があった。(略)
第九章 神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ・・・」(『聖書』創世記より)

 以上が『大家族』の所以ではないかと思う。

 鳩の足は地(海面)についていない。鳩のシルエットは青空(本当の空)である。
 暗雲垂れこめ、波高い海・・・。
 鳩は手前に飛んでいるように見えるが、尾羽は遠い水平線の彼方である。視覚化すると、鳩は大空を被うような巨大さであり、暗雲垂れこめた空と二分している。
 鳩のシルエットは、本当の青空を抱えているのではなく、暗雲垂れこめる空が鳩のシルエットを模って本当の青空を隠しているとも言える関係である。

 要するに虚実が一体になった光景なのである。
 世界に満ち溢れた生物たちの根拠は大自然の理に因するが、それを圧す伝承が信仰の要になっている。
 マグリットは決して否定をするものではない。この現象をむしろ正確に把握して『問い』を投げかけているのである。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)


『オツベルと象』88

2019-04-11 06:44:47 | 宮沢賢治

「牢はどこだ。」みんなは小屋に押し寄せる。丸太なんぞは、マッチのやうにへし折られ、あの白象は大へん痩せて小屋を出た。


☆労(力を尽くして働いた)章(文章)也。
 応(こたえる)記が眼(かなめ)の他意の説(主張)を吐く。
 章(文章)の他意は総て照(あまねく光が当たる=平等)也、と推しはかる。


『城』3164。

2019-04-11 06:36:29 | カフカ覚書

もはやビュルゲルにつかまえられてはいない。ときおりまだビュルゲルのほうを手さぐりしている程度にすぎない。まだ眠りの海の底には達していないが、すでに海のなかにはつかっていた。これを他人に奪われてたまるものか。


☆ビュルゲルに捉えられているというわけではなかった。ただときおり幾度かビュルゲルに触れられているにすぎず、深い眠りの底(本当の死)には達していなかった。しかし、その眠りに沈み込むことを奪いとるものは誰もいなかった。