誰もが、顔のパーツを帽子と着衣の間に移動させ収めるという眼差しの作業を果たすはずである。
なぜなら顔の位置が帽子と着衣の間にあるはずであると直感するからである。
ではなぜ顔のパーツがあるべきとされる位置から外されたのだろう。
外したのではなく別個に描いたものを鑑賞者が必ず符合させると確信して切り離しその位置に並べたのであり、これより下でも上でも意味は違ってしまう。
眼差しの日常性(観念)は、通常あるべき形態というものを心底(視覚/感覚)に収めている。経験からなる学習は重ねるごとに答えを固定化し、他を除外する傾向を見せる。
帽子・顔・背広・ネクタイ・シャツ、そのすべてに情報は隠されている。社会的地位や生活までもが露呈しかねない。
固定観念は崩せないほどに強固であり、顔のパーツの外れた画などは頭の中で即刻あるべき位置へと修正がなされる。鑑賞者はそうせざるを得ないように、自覚するしないに関わらず、すでにそう慣らされている。
これが観念である。マグリットはその観念を怪しいものだと認識し常に自問自答している。いわば観念の正体を暴く、あるいは近づくための巡礼者(旅人)のようである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
ひるすぎみんなは楽屋に円くならんで今度の街の音楽会へ出す第六交響楽の練習をしてゐました。
☆絡(つないでいく)也。
隠れた絡(筋道)を開(始め)推しはかる。
題(テーマ)の録(書き記す)講(話)は、教(神仏のおしえ)を極(きわめること)である。
聯(並べてつなげ)就(なしとげる)。
秘書は、気負いたっていたものの、Kが突進するたびに恐れをなしてとびあがる。そして、うえにあげた腕と握りこぶしを使ってすばやう裸身を隠さなくてはならないのだが、いつまでたってもその動作がのろいのだ。
☆Kは静かな眠り(死)に復讐し、秘書たちの尊大な態度に、Kは正義(権利)を主張する力の結集を隠さねばならず、それに関しては今なお遅れていた。