むろん、非常にまれな、もっと正しく言えば、ほとんど起こりっこない可能性ですがね。それは、請願者が夜中に予告もなしに押しかけていくということにほかなりません。
☆もちろん滅多にないことですが、全く傷痕がないという可能性です。それは予告のない死の最中にありえます。
レディ・メイドの花束はどこに?
男のうしろ姿を見るかぎり両手は下ろしている。
ブロックから見る遠近法では焦点はどうやら男の胸(胸中)にある。
つまり焦点は男の胸中にあり、男の心象風景に他ならない。
花束は装飾用の花瓶に入った花ではない、誰か対象者に捧げるためのものである。
しかし、男の後ろ姿からは花束を持った様子はなく、しかも男が捧げる相手であろうとする女は背後にいて、やはり男には背を向けている。
男の視線の先にあるのは樹の生い茂った林であるが、遠く光が射すかの明るさが見える。(男の心理にある期待/もう一つの世界)
しかし、ブロック(石造りの境界)が男と林を隔てている。超えようとすれば可能な高さではあるが、越えたが最後こちらへは戻ってこれない異世界との仕切りではないか。つまり、距離は近くて遠い、あちらは冥府ではないか。
男は冥府を見ている、母恋いである。それを優しく隠蔽する任意の女性・・・この構図の切ない不条理、レディ・メイドの花束は、思慕の念と感謝の念との双方に捧げられるものかもしれない。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
「セロっ、糸が合はない。困るなあ。ぼくはきみにドレミファを教へてまでゐるひまはないんだがなあ。」
みんなは気の毒さうにしてわざとじぶんの譜をのぞき込んだりじぶんの楽器をはじいて見たりしてゐます。ゴーシュはあわてて糸を直しました。これはじつはゴーシュもわるいのですがセロもずゐぶん悪いのでした。
☆詞(言葉)を合わせ混ぜて共(一緒にする)。
記を読むと普く拠(よりどころ)は絡(つなぐこと)が基である。
兼ねた詞(言葉)は自記を和(調合)して、握(手に収める)。