「ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?」
レディ・メイドの鳥かごに入れられた152個の角砂糖型大理石、温度計、イカの甲・・・11.4×22×15㎝という小さな作品である。
この意味は何か、まず見える対象物から推して考える。そしてその状況(在り様)から幾つもの推論が生まれる。
物の持つイメージ(用途)の集合体は、やがて物(対象物)に対する呪縛であると気づく。この作品にあるものは全て在りうべき場所にあるとは思えない。笑止、冗談、人をからかっているのではないか…少なくともプレゼントとして高価な物、喜ばしいものという対象からは外れている。
しかし、あえて差し出された意味を探索せずにはいられない不思議さがある。
《奇妙な寄せ集めに意味はない》という断定に至るまでに時間を要するのは、わたし達の生活時間の中で習得された価値観念の集積があるからに他ならない。
視覚に入るものは全て肯定することで、感慨を得るというシステムがあり、目に映る以前の否定というものはあり得ない。
美しくもなく価値があるとも思えないこの対象物を凝視していると、物の有りようの発露が見えてくる。つまり混沌であり、選択の基準がないのである。
存在、有るがままの無法・・・《意味を探るのをやめよ!》と。
しかし、鳥かごという生物の入る領域に、イカの甲・大理石・温度計(ガラス・水銀)という無機質なものが詰め込まれている。生命連鎖の遮断は死を連想させる。生と死の小さくも静かな光景である。
肯定→否定→肯定・・・の循環、「存在とは」を問うている。
作らないが作ったものであり、生の領域にあるが死んでもいる。ここに何らかの意志はあるか、在るべくして在るだけである。
写真は(www.taschen.com)より