二人(男女?)は底知れぬ孔(空洞)を見つめている。落下の恐怖・・・座している場所ですら確実ではない。
しかし、関心の無いことは見えず恐怖の対象にはならない。
存在とは何か・・・地表にあることへの安心、しかし、見えることのない地下はどうなっているのだろう。地表の起伏は見えるし感じることが可能である。気流でさえも体感し、風による振動は日常的である。
常なる疑問、地下における振動を聞く事が出来ない。地表を被う9枚あるいは12枚と言われるプレートの遅々たる動向を直視することはできない。ましてその衝突などは…。
地下を覗き見る行為は、確信の持てない未来への不安である。
地表の揺らぎ、振動・・・断層の狭間へ巻き込まれ倒壊していく予測、現実となりうる可能性のある巨大地震への恐怖。
大気の循環、地下の流動…わたし達はその中を生きているし生かされている。
底知れぬ地下への関心は、生きている地球への関心である。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館