続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

Ⅲ-1-1 自分の方へ向かう犬Ⅰ

2019-12-23 07:05:44 | 美術ノート

 自分に対峙する犬、向かって来る犬は水中にあり、泳いでいる。圧と抵抗に阻まれているということである。その距離を測るのは難しいが、水面に不明な円形の掘りがある。

 水面に掘りは決して出来ない。自分の方へ向かう犬の間には不明な空間があるが、亀裂ではなく条理を外した空間の孔のようなものである。
 犬が空中に出しているのは、情報をキャッチすべき耳と観察する眼差しと呼吸のための口だけである。犬と自分とは直線的な位置関係にあると思われる。
 水は樹に置換されているが、水を想起させるものは無く(波ではなく、あり得ないような傷をつけている)むしろ拒否する態を潜ませている。明らかに樹木という材質を提示しており沈むことのない神話を隠した犬の態である。

 巨大なエネルギー・宇宙論的な世界を持つ犬が自分の方へ向かっているのである。大いなる振動、驚愕すべき事態の襲来だと換言できるが、作品は問題を提議すべく、ただ静かに置かれている。


 写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館


『忘れえぬ人々』56.

2019-12-23 06:40:43 | 国木田独歩

「こんな晩はきみの領分だねェ」
 秋山の声は大津の耳に入らないらしい。返事もしないでいる。風雨の音を聞いているのか、


☆判(可否を定める)訓(字句の解釈)がある。両(二つ)の文は終(死)に算(見当をつける)章(文章)である。
 他意の審(正しいかどうか明らかにする)辞(言葉)は新しい。
 片(二つに分けたものの一方)の事(ことがら)は、普く迂(遠まわし)の隠れた文である。


『城』3325。

2019-12-23 06:30:24 | カフカ覚書

この男がベルで呼ぼうとしているのは、もしかしたら給仕ではないだろうか。フリーダではあるまいか。それなら、いつまでも鳴らしているがいい。


☆大群(多くの人)をこちらへと書いてある(響かせている)のはもしかしたら規約ではないだろうか。あるいはフリーダ(自由)なのか。それなら長く鳴らすがいい。