『ブルックリンの部屋』
フォーカスは人物の描かれた絵であればそこにあるのが普通であるが、この絵の場合、人物は画面の左下に、しかも後ろ向きである。タイトルが「部屋」であれば肯けるところであるが、部屋と言ってもほんの一角にすぎない。
まず目に入るのは濃い茶色の柱二本(三本)と窓枠の横木の線である。そして左右両端の薄いブルーの壁、下部の矩形…窓外のビルの屋上。
線で構成されていると言っても過言でないほどである。ディテールの省略は、外の空気を鮮明に見せており、室内と窓外の空気は一体化しているような錯覚を抱く。
強い線描の構成ながら《開放》されている。にもかかわらず、ここは地上遥かに高いビルの一室であり、容易には外へ出られない《閉塞》がある。
画面中央を少し外した位置に花を生けた花瓶がある。華やかさを添えるが、少しの揺れでバランスを崩す恐れが無いではない。つまり《不安》が潜んでいる。
左下の彼女の背後には布に被われた不審物が置かれている。精神的な力関係で言えば、この重さが椅子に腰かけた女の後ろ姿と共に、凛と立つかに見える花瓶に揺らぎを与えている。
物質量ではなく精神の比重がこの絵のバランスを危うくし、動じない静かな景色に妖しい影を漂わせている。
見えることで、見えない空気を醸し出しているのである。
写真は、岩波 世界の巨匠『HOPPER』より
落ちる水。海ではなく、落ちる水とした理由。水の三態、常に水は地球を巡回しているが、落ちる水としたことで、動きが生じる。
AからBへ移行する・・・すなわち《時間》である。
照明用ガス。太陽ではなく、照明用とした理由。照明は空気中を通過する光である。・・・すなわち空中、《空間》である。
人類が存在しうる源、どこからが人類なのか。女が手に持つガス燈は人類の叡智である。火の発見が他の動物とは決定的に異なる所以であるが、明らかな時代測定には至らない。
しかし「与えられたとせよ」、与えられたとしか考えられない『時間と空間』を、大前提とするしかないではないか。
デュシャンは《生命の起源》の景色を(覗き穴)を基点に仮想し、疑似空間を作ったのである。
時空を超える。
この作品は、除き穴という極小の視点からそれを脳裏に焼き付けることで体感ではなく感覚の作用で構成し得ると考えたのだと思う。